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原爆があの日落ちなければ、私はここにいないかもしれない

「あの日に原爆が落ちていなかったら、私もあなたもこの世にいないんだよ。」

久しぶりに会った母は、不意にこんなことを言った。

昨年の夏、母方の祖父が亡くなり、母はまだ祖父の死に向き合っているところだ。

祖父が亡くなってから、母は姉である叔母と共に、親族から祖父についての話を聴いたり、家族や親子の関係を振り返ったりする毎日だという。

その中で、祖父は本来、特攻隊として突撃をするはずだったという話が出たのだそうだ。

「おじいちゃんは最初、戦闘機の整備兵をしていたんだけど、人員が足りなくなって、乗組員として突撃することになっていたらしいんだ。しかも、日程まで決まっていたんだって。突撃する日が決まったあと、最後の挨拶をするために親戚の家を回っていたらしいの。そのとき、叔父さんの家でおじいちゃんは泣いてしまったらくして。でも、叔父さんは泣いているおじいちゃんをひっぱたいて怒鳴ったんだって。」

お国のために命を捧げる栄誉な立場になったというのに、何を女々しく泣くのだと、一喝されていたのだそう。今では考えられない価値観だけれど、それがあの時代の全てだっただろう。

さらに、祖父が突撃する日は、終戦のわずか4日後。

原爆投下後、終戦が告げられたため、結果的に祖父が戦闘機に乗ることはなかった。

あと少し終戦が遅かったら、祖父は特攻隊員として短い生涯を閉じていたはずだった。戦争がもっと長引いていたら、私たちの家系はそこで途絶えていたかもしれない。そんな事実を知って、私は鳥肌が立った。

「もし原爆があのタイミングで落ちなかったら、終戦がもっと遅かったら、私もあなたもこの世にいないんだよ。あれだけの人が犠牲になったけど、結果的にそのおかげで私たちは今ここにいるんだよね。」

本当のところはどうか分からない。人伝いに聞いた話だ。陸軍のシステムや、特攻隊の詳しいことを私は詳しく知らないし、今となってはもう真相を確認することもできない。そして私たち以外にも、終戦によって命が継承された人は大勢いることだろう。

ただ、祖父が親戚に最後の挨拶に出向き、自分が死ににくことへの恐怖や悲しみで泣いたというのは確かな事実だった。


時間は、過去から未来に流れている。普通はそう信じて疑わない。

でも、本当は未来から過去に時間が流れているのではないか。作家の吉本ばななさんが、ラジオでそんな話をしていたのを思い出す。

過去のルーツをたどることは、自分の人生を充実させたり、人生の目的を知るために大切なこと。それは前々から漠然と思っていたことだ。

そのためには、自分の人生を振り返ることや、原因と結果を明確にすることが必要だと思ってきた。

でも、自分の人生を辿るだけでは足りないのだと知った。

祖父が死ぬことへの恐怖で男泣きをしたこと、それを誇りに思わなくてどうすると叱られたこと。そんな悲痛な事実が、70年以上も前にあった。そしてそれが祖父が亡くなるという悲しいできごとによって、今明かされた。母が祖父の死を受け入れられずなんとか向き合おうとしたことで、分かったことだった。

こんな悲惨な時代を生きてきた高齢世代が、今の中高年を育ててきている。国のために命を捧げるのが名誉なことであり、不平不満を言えば非国民といわれる時代。安心して眠る、食べる、学ぶ、笑うといったことが許されない時代に育った人たち。愛情や安心感、生理的欲求すら満たされない子供時代を送った、そんな人たちに母は育てられたのだ。

特攻兵に選ばれたことを嘆く祖父、死の恐怖に泣く祖父の頬をひっぱたいた叔父さん、そしてそんな世代に育てられた母。

そして、家族関係に悩んできた私。

時間は未来から過去に流れていくという考えが、自分の中にスッと入り込んで落ち着いた。

はるか昔の事情がきっと、今の私たちの血や肉となっている。目の前のこと、目に見えるものだけを追っていても、満たされないのは当然だと思う。


なぜ、歴史やルーツを辿ることが必要なのか。

これから明るい未来を作っていくためには、土台がしっかりしていなければならない。沼地に突然強靭な建物を建てることができないように、過去の歪んだ事情の上に、心からの幸せはやってこない。

自分のもっと地下を生きてきた人が、どんな人生を、どんな思いで過ごしていたかを知らなければならない。

祖父がどんな気持ちで生きてきて、どんな気持ちで母や叔母を育ててきたのかを想像してみた。たまに遊びに行ったときに、のほほんと笑う祖父からは想像できない背景が、そこにはあるはず。

すると、これまで見えていた自分や母の人生と、今私が見ているものは、虫眼鏡と望遠鏡くらいの違いに思えたのだ。

自分が生きている意味や、自分の人生の課題は、一朝一夕に分かるものじゃない。だから、人に会い、対話をし、知識を得て、考え続けなければならない。こじつけだって、自己満足だっていいから、こういうルーツの元に私たちが生きているという紐づけをしていかなきゃいけないんだ。

世の中の出来事は、必ず繋がっている。

点と点を結んでいけば、いつかきっと円を描ける日がくる。今は折れかかったシャープペンシルで描いたような、薄く細い、いびつな円だ。

この先も根気よく、人生の意味づけを繰り返していけば、いつか墨のように太く凛々しい線で、立派な円を描けるようになると信じることにした。

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自身の体験から、どのように過去の記憶を乗り越えたのかを電子書籍にまとめています。

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