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「よくわからない習慣」はどこから来るのか

今までの習慣に疑問を持つ事はあるだろうか。

習慣とは個人のものとは言え、誰かから教わって身についた習慣である事が多い。

だから本人も気が付かないうちに習慣になっていて、疑問にも思わずに当たり前のこととして価値観として採用している事がある。

これは昨日の事である。

友人から電話があり、何気なく話していた。

いつも通りで内容はまちまちで、思い思いの話をするだけの電話がとても面白い。

そんな話の中で共通の友人Sが「なんで婚約指輪を買わなくちゃいけないのか」という事を言っていたという話題になった。

話題に出た友人を含めて僕らは皆が平成元年生まれで今31歳の男である。

結婚に適齢期も何もあるのかと思ってはいるのだが、同年代の友人から結婚式の招待状がいくつも来るのをみると、どうやら自分も結婚だなんだと騒がれる年になっているのかと嫌でも思い知らされる。

友人Sは結婚する事自体には何も思っていないらしいのだが、プロポーズするということに疑問がある様だった。

プロポーズというとオシャレなレストランで食事でもしながら男性から女性に婚約指輪と花束をなんてイメージが強い。

そしてそれを求める女性も多い事だろう。

友人Sのパートナーもそんな女性のひとりだ。

これ自体は良いも悪いもないと思う。

「こうしたい」という明確なものを提示してくれているのなら、その辺に疎い男性も大助かりなぐらいだろう。

しかし、友人Sは疑問に思っている。

「もう結婚すると話していて自分も相手も理解しているのに、付けもしない婚約指輪にお金をかけて、プロポーズをする必要はあるのか」と。

これは僕も含めて変な習慣だなぁ、と言いたいのである(こんな事を書くと世の女性から反発を受けそうなものだが、僕も友人Sもパートナーとは仲良くやっているのであしからずといったところだ)。

憧れみたいなものがあるのかもしれないが、それはテレビドラマやCMなどで植え付けられた価値観なのではないか。

正直なところ、付けもしない指輪や見栄だけのプロポーズにお金を掛けるならふたりで旅行したり、結婚した後の生活をより良くするためにお金を使った方が何倍も良いと思うのだ。

実際に僕はパートナーとそんな話をしている。

形式ばったことをやるのは、見栄を張りたいからというだけで、見栄を張っているときは大抵自分の価値観ではなく、他人の価値観の中で生きていることと同義だ。

僕と僕のパートナーと、友人SとSのパートナーとでは両者間でこの価値観が少し違ったのである。

もしかすると僕のパートナーだって、本当は形式ばった事で見栄を張りたいかもしれないし、そうなれば僕だって彼女の期待には答えるつもりだ。

でも、疑問に思ってしまうのも習慣に流されるのと同じ様に仕方がない事だと思うのだ。

今回話したのは一例で、世の中にはたくさんのよくわからない習慣や理解できない価値観があるのだと思う。

全て流されるがままに受け入れる事ができる人もいるが、皆がそうではないのだ。

そんな事実を受け入れてみると、「なんでこんな事しなくちゃいけないんだろう」と思う様になるかもしれない。

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