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見栄を張った話に、さらさら興味なんか無くて。

「白米を食べれるのはお金持ちだけ。」
江戸時代、ヒトは玄米より白米を食べたがっていた。

当時は、手間のかかる精米がされているお米の方が価値が高く、価格も高かったためだ。

しかし、白米ばかり食べていた階級の高い人々は、"脚気"というビタミンB1不足の病気になった。江戸患いと呼ばれ、それはもうかなり多くの人がかかったらしい。死者も出た。

当時は、玄米を食べていた地方の方が体的には健康だったということ。

・・・

"価値"とは、希少性だ。だから、ヒトは時折、本当の情報を見ようとしないと、希少性に惑わされる。見栄ばかりで要らないものも欲しがってしまう。ヒトが持っていないものをヒトは欲しがる。

そしてその希少性は自分の周りと比べて見出すものだ。だから、希少性は周囲と比較した基準で作られる。

ここで、希少性の定義を見直しておこうと思う。

「希少性の原理」・・・人が欲している量(需要)に比べ、利用できる量(供給)が少ない時、そのものの価値が高くなる、または高く思える心理的な現象のこと。

・・・

おまけにヒトは、いつも安心していたい生き物だ。
だから、人に見せて、他人と比較して、"自分の基準" と照らし合わせて「自分は大丈夫だ。」と安心する。

しかし、安心したいがための言動は、「今の自分は安心できていません。」と言ってるようなものだ。安心できないから、ヒトと比較する。比較して、安心させる。

…しかし、その基準はホントに正しいのか?
常にその自分の基準を疑うべきだと思う。

・・・

裏を返すと、そうでもしないとヒトは、安心できない弱い生き物で、同時に多くのヒトは"自分だけの基準"を持ってないのだなと私は思う。

自分の基準(ものさし)だと思っていることが、どれだけ"他者の基準(ものさし)を取り入れてるか"ということに気付けていないのだから、重症だ。

・・・

自分のものさしで見ることができれば、自分以外がそのものさしを持つことはなく、そのものさしで図ることもない。

たとえば、

1億人が同じ基準で、同じようなものをかわいいと思っている基準で生きる世界と、
1人が自分だけの基準で、誰が何を言おうが自分だけがかわいいと思える基準で生きる世界。

どっちが豊かになれそうか?後者だと思う。
だから、自分のものさしさえあれば、安心できるに決まっている。

しかし、現状は前者なのが現実。だから、そんなフェイクには惑わされない自分のものさしをもつ事は、これから生きていく上で本当に様々な面で重要だと私は思う。

・・・

そして、後者の人とは話していて気持ちが良いので、私はそんな人でありたいし、そんな人と一緒にいたいなと思う。

今日も読んでくれてありがとう。ではまた!

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