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あの美しさの前に、カメラを構えることは無粋だった

帰り道、背中に響く大きな音。なんでもないただの騒音だったら、目も留めずにイヤホンをするのに、夏のわたしは思わず足を止めて振り返った。

姿は見えないけれど、場所もわからないけれど、花火の音。

暑さも人混みも苦手なわたしは、花火大会なんて滅多に行かないけれど(せいぜい3〜4年に一回だ。)、記憶に残っている花火大会が3つあって。
ひとつめの話はこちらでしたので、今日はふたつめの花火大会の話をしようと思う。


土浦の花火大会は、毎年10月、少し肌寒い時期に開催される。日本三大花火大会に数えられるイベントだ。
そのときは知人から有料席の、さらに打ち上げ場所の真正面のチケットをたまたまもらえたので観に行った。

土浦の花火大会は、たぶん世界でいちばん美しい花火だったと思う。カメラを持って、三脚もレンズも借りて挑んだのに、花火のあまりの美しさに、思わずカメラを降ろしてしまった。だって、カメラなんて構えてしまうことが無粋だと感じるほど、美しかったから。

圧倒的な芸術は、それ以外のすべてを消し去っていく。
屋台で買った焼きそばも、後ろの酔っ払いのおじさんが叫ぶ花火一発の値段も、友だちとイヤホンを分けて聞いていた夏の歌も、すべて。
そこにあったことは確かに覚えているのに、何も思い出せない。

何より涙が溢れそうになったのは、夜空で大きく咲いた花火が消える瞬間、花びら一枚一枚がもう一度小さく光って消えていく姿。

たった一度きりの命が、散り際にもう一度だけ咲く瞬間。

儚くて、美しくて、愛おしくて。
そんなふうに散れるなら、わたしは生まれ変わったら花火になりたい。

馬鹿みたいだけれど、心の底から、そう思ったことを覚えている。

このnoteに花火とは全然関係のない写真を選んだのは、あの美しさを表せる写真が、この世にあるとは思えなかったからだ。


***


土浦の花火大会はあれから毎年申し込んでいるのだけれど、なかなか有料席が当たらない。人混みが苦手だから、有料席以外は避けたいのが本音。

だから今年こそ。
有料席が当たりますように。
土浦の花火大会に行けますように!



世界はそれを愛と呼ぶんだぜ