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耳の不調から思い出した、辛くてきつくて孤独な気持ち

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自分が経験することや、自分の世界で起こることは全て、気づきのきっかけ。



今回は、耳の不調があって聴覚という感覚がガタ落ちしたせいで、改めて辛さを感じた。

子供の頃、滲出性中耳炎を常に患っていて、鼓膜切開を両手で数えきれないほど経験した。最終的に小さなパイプを鼓膜の中に埋め込んでた時期があったせいで、鼓膜が薄くなって形が特殊になっている。他にも後遺症で色々不調があって、耳のトラブルはずっと抱えてきた。

耳がこもって聞こえない、耳鳴りがずっとしている、圧がバランス取れないって、大人でもこんなに気持ち悪い感覚なのに、子供の頃ずっとこうだったんだなと思い出すと、悲しい気持ちがそちらの方へ共鳴して、いろんなことを思い出してしまった。



私はもともと一人っ子で、放っておくと1人で感情や出来事を抱えて、篭ることが多い。1人でいること、1人で良いことも嫌なことも、感じて乗り越えることがデフォルトのようにして生まれ育ってきた。だから自己完結しがちな性格なんだけど、これって、この耳のこともきっと関係していたんだろうなと今回の不調でわかった。

外の世界が、他の人と同じレベルで感知できなかったり、自分の言ってることがよく聞こえなかったりすると、知らない間に外と遮断されて、自分の中で想像を働かせて理解したり、想像で遊ぶようになる。

1人の世界は自由で、いつ何をやってもいいし、誰にも気を遣わなくていいから楽だ。でも、同時に孤独だ。悲しくて辛くて、この世界で誰も私のこの1人の感覚をわかってくれないという思いが募る。

幼少期は、それでも現実の目の前にいる親の顔色を見なきゃいけなかったから、すごく注意深くいろんなものを感知しようとしていたんだと思う。頭の中に入ろうとする意識を外へ向けようとしては失敗して、逆鱗に触れることもあった。



今回の耳の不調で、小さい頃の自分の感じていた感覚、見ていた世界が手に取るようにわかった。

この孤独な世界観を、誰にも慰められたり、寄り添ってもらうことなく、シェアすることなく今まで生きてきた。不調になっても、今までは「いつものことだ」「時間が経てば治る」「大したことない」とずっとどこかで思って、スルーして抱えて生きてきた。本当は、怖い、辛い、悲しい気持ちがあったのにそれを見ないできた。

本当は、どれだけ心細かったか。子供の頃にある朝目覚めたら、耳が聞こえなかったらどうしようと思ったことはたくさんあった。誰にも言わなかったけど、本当は誰かに寄り添って欲しかった。不安な気持ちを吐露して一緒にいて欲しかった。



子供の頃の自分とここまで今回リンクしてしまったので、もうこれを無視する訳にはいかなかった。夜、どんどんと下がる気持ちを抱えて、眠った。朝になって、夫に話すことにした。

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