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#私らしいはたらき方 を模索する旅 前編~ほんとうの正解は自分の中にある~

2年前、新卒で入った会社を1年半で辞めた。

大学生の頃からインターン掛け持ちで週4働き、入社して初めての人事評価では、2等級昇進し、「最年少で事業部長になりたい!」と社長や上司に公言するくらいには、仕事に前のめりだった。

それがどういうわけか、たった1年半で仕事を辞め、大学・社会人時代を過ごした東京を離れ、いまは地元の奄美大島でサーフィンを中心としたゆったりペースで生活をしている。

早く1人前の仕事をして、結果を出して、認められるぞ!
と、鼻息荒く仕事に取り組んでいた2年半前の自分からは想像できなかった、いまの生活・働き方にいたるまでを記録として残しておこうと思う。

1.「自分ではない誰か」を求めていた学生時代前半

就活するときの私を形作っていた、学生時代まで話は遡る。

鹿児島県にある離島、奄美大島で生まれ育ち、大学入学を機に、上京してきた。東京の大学には、地元では出会わなかったすごい人がたくさんいた。「ずっと海外で暮らしてきて、大学から日本に帰ってきました」「○○という課題を解決するために友だちと起業しました」など。

高校卒業までは、「勉強」と「部活」という2つのモノサシしか持っていなかった私にとって、想像していなかった広い世界がそこには広がっていた。

ただ、無限にある選択肢の中で、何にでもなれる、という世界の広がりとともに、何者でもない自分に苦しんでいた。

自分にはない誰かの能力を羨ましく思い、何かに挑戦したとしても、上には上がいることを知り、落ち込み。

○○すれば幸せになれるんじゃないか?という想いが常にあり、自分ではない誰か、ここではないどこか、に幸せがあると信じていた。

2. 「正解は自分で創る」ことに気づいた留学時代

これまで住んでいた環境を離れ、出会わなかった人たちと出会えば、新しい自分を発見できて、幸せにもなれるのでは?という期待を胸に、大学3年時一年休学して、オーストラリア留学をした。

しかし、その期待と裏腹に、最初はしんどいことの方が多かった。

まず、言葉が通じない。そして、みんなの会話についていけない。
言語や文化の違いは徐々に慣れていったものの、一番しんどかったのは、常に「あなた」が主語にあることだった。

「あなたは何が好きで、何をしたいの?」
「あなたは○○のことについて、どう考えているの?」

といった具合に、とにかく自分の意思・意見を求められる。そこで初めて、常に「誰かにとっての正解」や「外部にある幸せ」を追い求めてた自分に気づく。

そこからは、オーストラリアの大自然を前に黄昏ながら、「私にとっての幸せ」とは何だろう?とよく考えるようになった。

3. 自分にとっての幸せを追い求め続けた学生時代後半

オーストラリアから帰国してからの学生生活は前半2年間とガラッと変わった。

それまで、どこか外にある正解を追い求めてさまよっていたけれど、「私にとっての幸せはこういう状態で、こういう夢があるから、いまはこういうことがしたい!」と言い切るくらいには自分の内側と向き合えるようになった。

そこからは、周りが活躍していても素直に応援できるようになったし、人と比べなくなってから、自分のやりたいことに忠実になった。

当時旅にハマっていたので、東京にいるときはガッツリ、インターンとして働きお金を貯めて、長期休みの度に海外にバックパックを背負って飛び出す、という日々がとても幸せだった。

「自分の人生は自分で創る!」というモットーを掲げ、「はたらく」も「あそぶ」も全力で楽しんだ2年間。社会人になってからも、自己実現のために
突き進むぞ!と決めて、第一希望の会社に新卒入社した。


ここから、半年間での昇進、低迷期、体調を崩し休職、突然のUターン決意、など色んな変化を経験するのだけれど、それはまた次回に。


ここまで読んで下さった方、ありがとうございます☺
また後編でお会いしましょう♪

後日、書いた後編はこちら↓





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