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徳島の間が悪い1日

早朝に目覚めたので、11時からの打ち合わせ前に徒歩20分の喫茶店で朝ごはんを食べる。打ち合わせは急遽リスケになり、それならひと仕事終えてそのまま出掛けてしまおうとスタバに移動したもののPCの充電はわずか。宿に戻るつもりだったから充電器を持っておらず、結局キリの悪いところで切り上げて宿に戻る。

襲いかかる人、みたいになってしまった阿波踊りの像

そのままやたらと仕事がはかどり、予定より3時間も長く働いてしまった。昼は昨日まで仕事で一緒だったカメラマンさんから教えてもらった徳島ラーメン。

ラーメンは650円、卵は無料、ごはんも無料という狂気の価格設定。すき焼きみたいなラーメンと聞いていたが、本当にすき焼きみたいなラーメンだった。

その足で阿波踊りの資料館へ。エレベーターの扉が開いた先には躍動感のある阿波踊り集団が待ち受けている。ちゃんとびっくりして、一人でビクゥッとなってしまった。

阿波踊りは死者の供養や地域の平和、五穀豊穣、病気退散など、地域によって踊りに込められる願いは異なるらしい。

徳鳴盂蘭盆組踊之図という絵図のイラストとデザインがとてもかわいかった。絵の技法は進化しているのだろうけど、絵の根幹にはきっと普遍的なものがあって、昔の人とはいえ感性はそう違わないのであろう。

同じく江戸時代の阿波踊り御触書書はなかなか内容が物騒だった。時代によって禁止事項が増えたり減ったりして、年表の最後の1846年には仮装をはじめ異様の風体で踊ることが禁じられている中、男装して踊った女20人が捕えられ、牢屋に入れられ、市中を練り歩いて衆人にさらす刑罰に処されたそう。文化祭ではしゃいだくらいのノリに感じるけど、処罰は重い。

社会の変化に伴う阿波踊りの変遷についても展示があり、主題ではなく社会の変化の方に驚く。江戸から明治になり、幕藩体制が終わって世の中仕組みはガラリと変わり、おまけに暦まで変わっただなんて、さぞ大混乱だったことだろう。こういう史実に立ち返ると、変化のスピードが早いと言われる今の捉え方も変わる。歴史を学ぶことの意味がようやくわかってきた。

1986年に徳島市で開催された「徳島マンガ博覧会」の記念テレフォンカードのイラストは描き下ろしらしく、手塚治虫キャラクターは「鉄腕アトムとレオちゃん」と紹介されていた。執筆者はジャングル大帝ファンなのかもしれない。

レオちゃんかわいい

資料館を後にした時間が中途半端で、ぷらぷら適当に時間を過ごそうと思いきや完全に持て余してしまい、結局お風呂セットを取りに宿に戻る。どうも今日は段取りがうまくいかない。

飲み屋さんはメニューが日替わり。料理への期待は高まるも、手書きの字が全然読めない。さて困ったとメニューを眺めていたら、お店のおばちゃんが今しか食べられないという桜鯛の白子とお刺身盛り合わせをおすすめしてくれたのでそのままお願いする。

アテ的に日本酒だけど、どうしてもビールが飲みたかったので欲望のままどちらも頼む。お水もお願いしたのでいきなりグラスが3つ。「貪欲に生きよう」と最近取材した人が言っていたから、これはこれでよし。

貪欲の一例

お刺身の車海老はまだ動いていて、なんだか気が引けてしまいひと思いに最初に食べる。頭までバリバリしたのに、食べ終えてもなおピクピクしていていたたまれなくなってしまった。活け造りや踊り食いへの抵抗は年々増している。

途中で店主が「お刺身どう?」と話しかけてくださった。鳴門のうず潮を泳いでいる鯛しか使わないのがこだわりだそうで、「洗濯機の中を泳いでるようなもんだから食感が違う」とのこと。なるほどと思いつつ、洗濯機の流れに沿って泳ぐ怠惰な鯛も中にはいるのだろうか、と省エネで生きる鯛に思いを馳せてしまった。

お店を出たら「お姉さん!」とおばちゃんから呼び止められ、「またご縁がありますようにね!」と5円玉を手渡された。最初から最後までいいおばちゃんだった。

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