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一年の疲れがここにきて表出したのか、気が抜けたからか、ここ数日は夜に微熱を出してしまう。…
様々な情報を得るとき、信頼性が高いと思われる発信者や面白い発信者に出会うことがある。 た…
多分わたし以外は誰も気にとめていないことだと思うのだけれど、もしも、もしも本人が見ていた…
「がんになってTwitterのアカウントを作り直したりして、実際のところ何か変わったの?」 不意…
物事を見ようとする時、精度が必要ならば解像度を上げていくことが不可欠になる。 情報量は増…
わたしは患者で、かつ患者家族でもあるので、度々その立場で感じたことを書く。 認知は必要か…
大きな病気に罹ると、「患者なのだから」「患者はこうしないと」という言葉に出会すことがある。 わたしは確かに乳がんサバイバーで、DCISで全摘したから体内にはがんはもうないと思われるとは言え、経過観察と定期的な検査が続くことにかわりはない。再建手術もまだ続く。 こうして、乳がんについてのみ語られる場合にも、患者という言葉はまだわたしの傍らにある。 ただ、患者という言葉でわたしが他者に語られるとき、それまでの「わたし」との非連続性をそこに見出してしまうことがあるのだ。 ◇
「先生ったら私の顔なんて覚えてないのよ」という会話、おそらく病人界隈あるあるなのだろうけ…