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10m先からの視点

様々な情報を得るとき、信頼性が高いと思われる発信者や面白い発信者に出会うことがある。

たとえばSNS、そうTwitterならばフォローをするだろう。ブログならば定期的に記事を読む。
そんな中でやりとりをすると、ちょっと距離が近くなったような気がするかも知れない。

でも、物理的な距離は別に変わらない。
情報を得たとしても、その時点ではただの受け売りでしかない。真に理解したとは言えない。
こうも言えるだろう。どこまで行っても「その中だけでのこと」に過ぎないのだ、と。

相手に過度な期待をしない。
自分の思い通りになるわけではない。
見返りを期待しない。

これらはとても大切なことだと思う。

勿論、意見を述べたり自らの立場から議論に加わるのは、稀ではあるが場合によっては有益なこともあると思う。それが無理筋ではなく押し付けがましくもなければ、の話。
怖いのはその逆で、「信者的なファン」になってしまうことだ。

信者的なファンになると、その人の発言はすべて正しく見えてしまうことがある。逆に、その人と対立する意見はすべて誤りと捉えてしまう可能性もある。バイアスを生み出し、助長する。

思考回路は他者に明け渡してはならない。

あらが見えなくなるのも大変に良くない。
誤りや偏りのある内容でも、適当な自己解釈で補填してしまったり、または勝手な裏読みで弁護してしまう。
人間である以上、ヒューマンエラーがないとは断言出来ないのだ。そのエラーをもって何かを判断することは、かえって良くない結果を生む可能性もある。

また、最初は正しかった人が、いつまでも常に正しくあるとは限らない。専門外に言及することもあるだろう。だが、どの分野においても正しいという保証もない。
よく「闇落ち」という言葉で表現される状況も、いつ何時来るかはわからないのだ。

思考回路を明け渡さないためにはどうしたらよいか。

わたしは、常に「10m先からの視点」を持つように心掛けている。
また「鳥の目」「虫の目」「魚の目」というように、複数の角度・高度から物事を多面的に考え把握することは、冷静さを保つ助けになる。

身近な専門家や複数ソースとの比較検討は、非常に大切なことだ。その場合にも、信者的ファンというスタンスは邪魔になる。

冷静に見る。遠くから眺めてみる。

誰かをあたたかく応援することとそれは、必ずしも矛盾しないと思う。

なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」