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まいっちゃうなあ

「がんになってTwitterのアカウントを作り直したりして、実際のところ何か変わったの?」
不意にそう聞かれて、そういえば何が変わったのだろうかと答えに窮した。
「うーん・・・・・・アカウントは他には内緒ね。そうねえ、思いつくところだと何だろう。あっ、マンガになったよ。」
「はぁ?何なのそれ、担いでるの?」
言葉で説明するのも何だか微妙に嘘臭いので、医療マンガ大賞のページをスワイプする。
「これ、このエピソードがわたしのツイート。あとね、入賞じゃなかったけれど特別賞をお取りになられた方がいてね・・・・・・これもツイートが元になっている作品で・・・・・・。それとこれ・・・・・・。」
「ちょっと、言ってもいい?ねえ、随分と美人になってない?」
わたしは思わず吹き出した。
「いや、それはほら、わたしが見た目を指定したわけじゃないから!」
「でも髪型はそっくりだわ。」
「そう、それね。」
実物に寄せてどうするんだ。女優じゃないんだから。まったくもう。

関係性のごく近い人との会話は、近頃ずっと、病気の話が絡んでもわりとこんな調子だ。
こんな調子、だからいい。

告知された最初の頃こそ、病気の話をすると皆が深刻そうに眉尻を下げた。
でもその度に、相手にあわせながら「検診の重要性」「標準治療の大切さ」「総体的に今後を見据えること」などを話した。選択した治療が乳房全摘ではあるものの、DCISで根治が見込めることも理解してもらえた。形成手術も出来る。

勿論、身内には有害事象についても話した。微小転移の可能性についても、非常に考えにくいが完全に否定できるわけではない。
話す時には数字を添える。曖昧、データがない、知らないということはすべて不安につながる。
話して納得することは、安心につながる。

そこからは、病気の話も「話題のひとつ」になっていった。

わたしの周りにはサバイバーが多い。サバイバーの家族も多い。
みんな、元々の経験値がある。だからこそ理解が早く、あまり長く労せずにこういう状況が作れたのだとも思う。周りにいなければ、話がうまく出来なければ、気持ちの衝突や擦れ違いがあったかも知れない。

衝突や擦れ違いが起こるのは、そのベースに親愛の情や強い興味があるからだ。まったくの無関心ならば、そもそも袖のすりあうこともない。
わたしに関心や好感情を抱いてもらえるのならば、それはありがたいこと。だから、話して何とかなることであれば、何とかしたいと思っていた。
何ともならずに苦労する方がいることも、知っている。

偶々わたしは周囲の経験値に助けられたのだろう。その経験値の裏側に悲しみやつらさ、後悔があるだろうことを思う。過去が今に、さらに先へと繋がる。その中にわたしもいる。
でも、忌憚なく話せるその分、冒頭のようにきっちりツッコミが入ったりする。それも、容赦なく。

まいっちゃうなあ。お手柔らかに。

なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」