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新生vogueはイケてる?イケてない?

新生ヴォーグジャパンについて

今日はずっとずっと思っていたこと。ヴォーグジャパンへ。ヴォーグを愛しているからこそ、まとめてみました。

私とVOGUE

“When I first moved to New York and I was totally broke, sometimes I bought Vogue instead of dinner. I found it fed me more.”

ニューヨークに越したばかりでお金がまったくなかった頃、夕飯の代わりに『VOGUE』を買うこともあったわ。そうするほうがよっぽど満たされたの。

SATC キャリー・ブラッドショーのセリフ

セックスアンドザシティのキャリー・ブラッドショーがこんな言葉を残したように、私にとってもVOGUEはずっとずっとバイブルのようなものでした。

誌面に載っているアイテムは、自分で買えるようなものはほとんどないけれど、世界のトレンドがそこにある、という高揚感。表紙を開いた瞬間から始まる、美しい広告の数々。「はあ、今期の広告も美しいなあ」なんて思わずため息がこぼれる。

アメリカに海外旅行に行ったときも、必ず到着してから記念にVOGUEを買って。「なんでアメリカの雑誌って紙質がチープなんだ…?」なんて思いながら。(今も疑問。あの光沢感しかない薄い紙…笑)
グランドセントラル駅を出発する前に、電車の時間が迫る中、急いで売店で買ったことも。

高校生の頃に出会い、そこからずっとずっと追いかけている、ヴォーグ。昨年の10月号から、日本のヴォーグが、が誌面をリニューアルして、新生VOGUEになったのです。

誌面で使われている字体も変わり、使われる色味も、レイアウトも、雰囲気がガラッと変わったのです。

しっくりこない新しいヴォーグジャパン

初めてみたときの気持ちは「なんで?」とにかく、しっくりこない…
大好きだったVOGUE、私はこの変化を受け入れられない。大好きだったのに。

なぜだろう?とじっくり見てみた

あくまでも、一読者が、感じたこと。その分野にいる方々には、そうではないのかもしれないけれど、ピックアップしてみました。

新しさを感じられないカバー

ヴォーグといえば、アナウィンターがヴォーグ全体を今の地位をキープしたように、表紙に歴史があるはず。
リニューアルしてからのヴォーグジャパンの表紙は、字体もそうだし、フォントの色と、表紙の女性のバックカラーの重ね方が、なんだか古臭い…

そして毎月、大きなフォントのサイズで「縦書き」でカタカナでキーワードが入ってる。
ガールクラッシュ とか ワン・アンド・オンリー とか ルネサンス とか。
何故か全て、縦書きで。

古風な字体や文字間の狭さ

表紙のことにも通ずるけれど、メインのフォントが明朝体のような、古風な字体に変更されたみたい。古さを取り入れて、新しさを表現しているのかもしれない。けれど、なにも新しく見えない。文字カラーのほとんどは黒で統一されていて、全体的に少し暗い。

古風な字体以外はゴシック体のような字体も使われているけれど、
そもそも全体的に見出しの文字間が狭く、キチキチとしている。前は細かな文字まで読み込んでいたし、読みたい!と思っていたけれど、
ファーストキャッチと言うのかしら?視界にいれた瞬間から、キチキチしていて読む気になれない。不思議だ。

デザインと日本語のミスマッチ

多発するのが、最初の一文字を大きくするデザイン。
例えば、日本語で「フ」だけが大きく、改行した続きから「ァッション」とある。これ、デザインとして美しいの?と頭にハテナが浮かぶ。

お次の特集のタイトル。縦書きだが「未」だけが大きくプリントされ、そこから改行。
「来への…」と続く見出し。よく分からない。日本語としてはあまりにも見にくい。なんて、頭の中はハテナハテナ、おかしい。

ある号の宮沢りえさんのインタビュページ。
大きすぎる「今」がプリントされている。

ん???と思って、下に続く文章を見ると小さい文字サイズで「回の…」と続いているようだ。「今回」の「今」だけを大きくする、これってなんのために?デザイン性から見ても、文章から見ても、何も美しくない。

新しさのないデジタルカルチャーの発信や美の概念

推されるデジタルとの融合。誌面ではヴォーグジャパンのYouTubeチャンネルで取り上げられている動画を紹介しているけれど、ただの動画の切り取りが並べられているだけで、目新しさはない。

ヴォーグジャパンを代表するアバターも作られたようだ。パープルのヘアに、シルバーのアクセサリーを身につけ、ホワイトで統一されたミニスカートのワンピースとと厚底。

これがヴォーグが作り出そうとしているデジタルカルチャー?
可愛らしけれど、ヴォーグを代表するようなアバターとは言い難い。今までデジタル上で目にしてきた、アバターたちとの違いも感じないし、新しさもない。
スタイルも「若い女の子」のステレオタイプのような体型とスタイルで、仮にもヴォーグジャパンを代表するアバターなのにアジアの要素もない。

画一化されてしまった、変わらない美の概念をそのまま落とし込んだような鼻や目や口。西洋に偏った美しさの概念は今、大きく変わり始めているし、変わらなければいけない。だから正直メッセージ性にも乏しい。なぜ、これをヴォーグジャパンのアバターにする必要が?


編集長が変われば、こんなに変わるのか?ヴォーグジャパンに何が?と、悲しみながら調べた。

編集長の交代が理由だった(?)

日本の外から見た、日本を知っている人のためのヴォーグ?

そうか、日本の外から見た、日本を知っている人なのかと、なんだかしっくりきた。いい意味でも悪い意味でも、新しい風なのかと。

確かに、日本の外から、日本語を見たときのデザイン性は、私が見る日本語とは異なるだろう、そう思った。

最初の一文字を次の日本語とのつながりを意識せずに大きくし、改行が行われていること、
縦で書かれている見出しのサイズ感や太さ、あとは文字間が狭いこと…
これらも、日本語以外の言語にも親しみがある人からすると、ちょうどいいのかもしれない…

カタカナで英単語を縦書きすること、これも、日本にルーツを持つ私が見ると、新しさは感じないけれど、日本語以外の言語も知る人からすると、ちょうどいいのかもしれない…

そこまで求めるのは違うのかもしれない…


アバターの絶妙な洗練されてなさはアニメ感を感じるからだが、日本の外から見ると、日本はアニメ文化が染み付いているから、馴染みがあると思って作られたのかもしれない。

アジア人が西洋の見た目やスタイルに合わせなければいけないような
資本主義へと飲み込まれてしまったが故に、画一化されてしまった美しさの概念
けれど近年多様性が叫ばれ、ついにアカデミー賞で初のアジア人の主演女優賞を得た女優が現れた。韓国女性アーティストの世界進出もそうだ。

世界の美しさの基準は多様化しようとしているけれど、この動きへの気持ちはアジアだけにルーツを持つ一部の人たちだけ持つ感覚なのかもしれないし、
そこまで求めるのは違うのかもしれない。でも、
ヴォーグというトップのメディアだからこそ、まだ変わらぬ普通の雑誌が踏み込まない領域にいってほしかった


でも、ヴォーグジャパンを手にする人って?

でもヴォーグジャパンを購入する層は、日本語に親しみがあって、日本で生活する人が多いのでは?とも思うのです。
ヴォーグジャパンの購入層がどんなのものか、もちろん私は知らないし、意外と海外の方も多いのかも。でも中身は全て日本語なんだから、日本語に親しみを持つ人の割合が高いはず。

そんな人たちは、書いてきたようなあの日本語のデザインに違和感があるはずだと思うんです。

そしてあのアバター、もう日本に溢れかえったアニメ、多様性のない女の子のスタイル、そんな世界に飽き飽きしている人も多いのではないかと思うんです。

美しさの概念、トップをいくヴォーグだからこそ、ヴォーグからの新しいメッセージが欲しいと思っている人も多いのではないかと思うんです。

ヴォーグ 「ジャパン」 なんだから

私がアメリカのヴォーグを手にして「紙がなんてペラペラなんだ」とか「光沢感がありすぎるなあ」とか「日本の雑誌の紙質のほうがもっと優れてるなあ」とか、「素敵な写真だけど、ペラペラの紙、もったいないなあ」とか。(紙のことばっかりだけど。笑)

違和感はあったけれど、あれはアメリカ本土のためのヴォーグだから。他国のヴォーグユーザーは別に置いておいけばいい。
もちろん、影響力はあるから、ヴォーグUSも組織に多様性がないことなど、変わっていかなければいけないこともあるけれど。でも雑誌そのものは、その国の人たちのためにあるべきだと思うんです。ヴォーグチャイナも、ヴォーグブラジルも、ヴォーグフランスも全て。

だから、日本語のレイアウトやデザインの違和感も、アバターの発信も、私にとって納得いかないってこと、感じてもいいのだと。
そして日本のユーザーのためのヴォーグを、ヴォーグジャパンには作ってほしいと、心から思うのです。

バイブルだからこそ、思うのです。



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