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「独り言の読書記録」この私、クラウディウス/ロバート・グレーヴス

イギリス人作家ロバート・グレーヴスによって書かれた、ローマ帝国第4代皇帝クラウディウスの自伝の形式をとった歴史小説「この私、クラウディウス」。

クラウディウス帝は、初代皇帝アウグストゥスの後妻リウィアの孫、第2代皇帝ティベリウスの甥、第3代皇帝カリグラの叔父という血筋でありながら、小さな時より病弱で、びっこを引き、吃音でもあったため、愚か者と思われ、政権争いに巻き込まれることもなく、カリグラが暗殺された直後、皇帝に担ぎ上げられるまで、重要な公務につくこともありませんでした。

私がこのクラウディウス帝に興味を持ったのは、彼が皇帝になる前に「カルタゴ史」や「エトルリア史」などの歴史著述を行ったからです。この彼が書いた「エトルリア史」が現在でも残っていたならば、言語さえも解明されていない謎の多いエトルリア文明についての重要な文献になっていたと思いますが、評価されることのなかったクラウディウス帝、その著作も残っていません。

小説の中で皇帝のティベリウスがクラウディウスに「最近は何をしているのか?」と尋ねるシーンがあります。「エ、エ、エトルリア史を書いています。」と、どもりながら答えるクラウディウスにティベリウスは「それは君を栄光に導くであろう良いテーマの選択をしたね、古代エトルリア人は誰一人として生きていないから抗議はできないし、現代人は気にも留めないだろうからね。」と皮肉たっぷりに答えます。これは、もちろん小説の中のつくられた会話ですが、エトルリアに対して当時のローマ人が思っていたのは概ねこのような感情、つまり「ローマが征服した取るに足らない文明」、だったのではないかと思います。さらには、ローマがオリジナルで偉大な文明であることを後世に残すためには、ローマがエトルリア文明から宗教や技術などを継承したという事実を掻き消す必要性があったのではないかと。それでもクラウディウス帝は「エトルリア史」を著したことに、私は親近感をもつのです。

ローマが共和政から帝政へ移行したこの時代を描くこの小説の中では、歴史上は落馬やマラリアとされる死因も、権力を維持したい人によって暗殺されたと描かれていることがあります。それはそれで面白く、まるで現在の権力争いの縮図をみているかのようでした。現在は、権力を維持するために、誰かを暗殺するだけではなく、戦争を勃発させるわけですが。。。

権力の中枢にいながら、権力争いに巻き込まれることのなかった者クラウディウスが帝位につくまでを彼の視点で描いたこの作品、若干の脚色はあるものの古代ローマが好きな方にはおススメの一冊です。日本語訳には、多田智満子さんが参加されています。

ちなみに、我が家にあったこの本は、ページをめくるたびにカビ臭いにおいがするほど古い、1935年に出版されたイタリア語訳です。イギリスで「この私、クラウディウス」が出版されたのは1934年なので1年後にすぐに翻訳されたことになります。当時、イタリアは、ムッソリーニの国家ファシスト党による独裁体制が確立されていました。分裂していたイタリアが統一し、イタリア王国が成立したのは1861年(ヴェネツィア併合は1866年、ローマ併合は1870年)。統一国家として国民をまとめるため、ムッソリーニはイタリア民族にとっての父祖となるラテン人がつくりあげたローマ帝国の栄光を引き合いにだし、ローマ帝国の再建を夢見ました。そのため、ローマ帝国の歴史を語るこの小説はすぐにイタリア語に訳されたのです。ファシズムの良かったところをあげることはタブー視されますが、現在、ローマに古代ローマの遺跡が修復され残っているのは、ムッソリーニが整備させたからです。

ムッソリーニよって、1段目のアーチが地中から掘り起こされたマルケッルス劇場:

都市整備のため壊される予定だったローマ時代の聖域。ムッソリーニの意見により遺跡として残されたトッレ・アルジェンティーナ広場の寺院跡:

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