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踊り子から皇后へ たくましく生き抜いた女傑テオドラとサン・ヴィターレ聖堂

イタリア、エミリア・ロマーニャ州のラヴェンナに、ビザンチン様式の鮮やかなモザイクで東ローマ帝国の皇后「テオドラ」の肖像画が残っています。

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ラヴェンナは、ヴェネツィアから南へ約140km。高速道路を使うと三角形の2辺を通ることになるので、海岸線を走るロメア通りが便利です。しかし、片道一車線のこの道を、スピード違反の自動カメラをかいくぐり、普通車が100km以上飛ばしながら遅い大型トラックを追い抜かすため、事故が絶えません。

ただ、潟の上を通っているロメア通り走っていると、5世紀、西ローマ帝国崩壊直前に北イタリアの住民が、蛮族のイタリア侵入から逃れ、湿地帯の潟の上に住み始め、海の都ヴェネツィアを建設した当時の様子を想像するのを助けてくれます。

そして、ラヴェンナも、現在は8kmほど海から離れていますが、昔は海港都市として潟の上につくられたのでした。

さて、「テオドラ」のモザイクは、ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂にあります。

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サン・ヴィターレ聖堂は、530年頃司教のエクレシウスが建設に着手したであろうと考えられているとても古い教会です。

そもそも教会の名前にもなっている聖ヴィターレも、キリスト教が迫害されていた時代、ローマ軍人であった人で、殉教したという情報以外、信仰面においてなど何も知られていません。

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イタリアに類をみない八角形の集中式平面という、かなり特殊な構造の教会。内部に入ると一段と色彩を放つ祭壇にすぐにひかれます。

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今から1500年程も前、西暦547年に東ローマ帝国の勝利を記念して製作されたモザイクです。

ラヴェンナは、ローマ帝国東西分裂後、402年には西ローマ帝国の首都に。その滅亡後は、東ゴート王国の首都になりました。しかし、ラヴェンナが一番輝いていた時代は、540年東ローマ帝国の将軍ベリサリウスがラヴェンナを占領してから200年程。

コンスタンティノープル(現トルコ・イスタンブール)を首都とする東ローマ帝国の当時の皇帝は、ユスティニアヌス1世。後世「大帝」と呼ばれるこの皇帝の夢は、政治的にも文化的にも東西ローマを再統一すること。
彼の統治下、西ローマ帝国の領土を、部分的にも回復し帝国の版図を押し広げました。

そしてこの大帝の皇后が「テオドラ」。
(イタリア語では「ド」にアクセントが置かれているため、テオドーラと聞こえますが、Wikipediaの表記に従いテオドラにしました。)

子どもの頃、熊使いの父親を亡くしたテオドラは、姉とともに妖艶な踊り子として働いていました。皇帝とテオドラがどのようにして出会ったかはわかっていません。美しい娘にひかれたユスティニアヌス1世はテオドラより15歳年上でした。

貴族ではない娘テオドラとの結婚は法律で禁止されていたのですが、その法律を改正してまでテオドラと結婚したのは、ただ彼女が美しいからだけではないようです。

小さい頃より辛苦をなめ成長することにより得た彼女の知恵に、優秀な男だからこそ魅せられたに違いありません。

実際、テオドラの聡明でたくましい性格は、ユスティニアヌス1世の政治に強い影響力を持ち、ユスティニアヌス1世とテオドラで両頭政治を行ったと言われるほどでした。

サン・ヴィターレ教会に残るのは、そんな強い女性テオドラのモザイク画です。

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首都コスタンティノープルに残っていてもいいはずの彼女の肖像画は、8世紀から9世紀におこったイコノクラスム(聖像破壊運動)によりすべて消滅してしまいました。

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祭壇に向かって右手にテオドラを中心に女性たちが並ぶモザイクがあります。

肩から胸まで届く長い一連のパールの冠と宝石の散らばる幅広いネックレスをつけているのがテオドラ。

皇后の象徴である真紅色の衣服の裾には、幼児イエスに贈り物をささげる東方の三博士が描かれており、キリストに金の杯をささげるテオドラの動作と平行に重なっています。

テオドラのすぐ右の二人は、将軍ベリサリウスの妻アントニーナと娘のジョヴァンニーナで、後ろに続く婦人に比べ、服装も顔立ちもより繊細に描かれています。

テオドラがアントニーナの浮気をかばうほど、二人はとても仲の良い友達でした。

左に描かれているのは、洗礼のシンボルである噴水。

そして左の宮廷の高官により、開けられているカーテンは、天国への扉のシンボルです。

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そして向かって左手には皇帝ユスティニアヌス1世を中心とした男性たちのモザイクがあります。

女性たちに比べ、服装に彩りがなく、やや地味な男性たち。

中央で一番目立つのがユスティニアヌス1世。誰よりも前面に立っており豪華な衣服をまとっています。そして、テオドラのようにキリストに金の盃を捧げています。

彼の左の髭を生やした人物はラヴェンナの征服者ベリサリウス将軍。

皇帝の右には当教会を聖別した司教のマクシミアヌス。そしてその右には福音書とお香を持つ助祭。

ユスティニアヌス帝と司教の間の人物は、この教会の建設に資金を提供した
ラベンナの裕福な銀行家ユリアヌス・アルジェンタリウスと考えられています。

皇帝と皇后にまるで聖人のように円光が描かれているのは、東ローマ帝国では権力者は神格化されていたためです。

ラヴェンナへ、ユスティニアヌス帝とテオドラの肖像画が運ばれてきたため、二人ははっきりとした顔立ちで描かれています。しかし、ここに描かれているように、皇帝夫妻が帝国内各地の重要な教会で行っていた、礼拝用の器を神に捧げるというこの儀式は、ラヴェンナでは実際には一度も行われませんでした。

これらのモザイクはラヴェンナの町に対する皇帝、皇后の奉納のシンボルであり、背景が黄金という現実にはあり得ない設定もそのことを表わしています。

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尚、教会内には他にもアブラハムと妻のサラが3人の見知らぬ客に食事を用意するシーンやアブラハムがイサクを犠牲として捧げるシーン

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アベルとメルキゼデクの奉納などがモザイクで描かれています。

この教会のモザイクに他に比類のない美しさを感じるのは、緑色が多用されているためかとも思います。

そして、祭壇の真正面には、キリスト教にとっては一番重要なキリストのモザイクがあったのですが、あまりにテオドラに魅かれていた私は、今回、写真を撮り忘れてしまいました。。。

サン・ヴィターレ聖堂(2022年6月現在)
他4施設
ガッラ・プラキディア廟堂
サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
ネオニアーノ洗礼堂
アルチヴェスコヴィーレ美術館
との共通券で
一般:10.50ユーロ
7日間有効。1施設1回のみ入場可能。

詳しくは、https://www.ravennamosaici.it/ でご確認ください。


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