見出し画像

生きるって、生きる理由とは

今の自分としての答えが見つかったようでここに残しておこうと思う。
小学生の頃からひとり考えていた「永遠のテーマ」
答えがないテーマのひとつであり、きっと変わり続けるもので、永遠に見つからない答え


映画からいつも教わる

「Dear Evan Hansen」


Dear Evan Hansen


この映画を観た後にInstagramに書いた内容とつうづるのだけども

「人は一人では生きられない」
よく聞く言葉だけど、その意味について考えると人それぞれの解釈、答えが出るだろう。
そして私もまた、その答えを探す度変わっていってるように思う。

「人は一人では生きられない」

最近自分の中にできたこの言葉の答え
それは、他者を通して自分を見ている。ということ。
この世界に、依存という言葉があるように
自分の内に自分の生きる理由を見出せない時、物や人、見えない何かに依存したり、頼りにしたり。
そうやって自分の生きる理由にするのだと。
推し活だってある意味そうだし、「生きる活力」とはまさにそうだ。
果たして、生きる理由を外につくらず、自分の内側に作ることはできるのか?
最近そんなことを考えるようになったのだ。
きっとまた自分なりの答えがいつか見つかるかもしれないし見つからないかもしれない。
ただ、生きる理由を外に作ってしまうと、その存在がなくなったとき、
自分の存在理由もなくなってしまう、そんなこわさがあるのだ。
私にとって愛犬の死がそうであったように。

「僕のワンダフルライフ」


僕のワンダフル・ライフ

犬の映画を観ると無条件で泣いてしまう
動物の気持ちはわからないけれど、それこそ霊的な才能があれば良いのだけど。
ただ、「今を生きる」「純粋」のお手本のように思う。
言葉を話せないから体全身で伝えてくれるし、それこそ目に見えない「愛」というものを教えてくれる存在に思う。

人は生きることにに理由を見出そうとしまう生き物だと思う。
何をするにも、目の前の出来事にも、なぜ?を考えてしまう生き物だと思う。というかそれができてしまう動物だから。
もちろん感覚で生きる人間もいるけども、少なくとも私は、小学生の頃から特に算数が苦手で、1+1は2に対しても誰が2にしたの??とか言ってしまういわゆるその時代なら勉強ができない分類の子であり、なんでもかんでも「なんで?」って言ってしまう子であった。(こどもならなんで?はデフォルトだよね)
テストがそうあるように、答えが必ずある。そんな教育をうけてるのならなおさら。
だけど答えなんてひとつではなく、絶対なんてことはないと、30代に入ってようやく知った。

「生きる」


生きるLIVING

映画館を出た後、「いい映画をみたな〜」と言葉にでる映画
日本の映画のリメイクだけど、1950年代のロンドンということもあり衣装やタバコの煙、街、人々の雰囲気、全てがアートのように思えてビジュアルも好きな映画。
ストーリーもシンプル
自分の余命を知り、自分の人生を振り返り、まさに

「自分を生きる」

人生とは時間で、有限であることをついつい忘れてしまう
それはそれで幸せの代償というか。
戦争を経て、戦後これからを生きる者たちに明日の心配をせずに生きられる世界を作りたいと、願った今なのだと。

生きるって

ここまで書いたところで結局まとまっていないように思うのだけど。
きっと、生きる理由って?って思う時点で、
「生きたい」のだと思う。
生きたいから、「生きる理由」を探したいのだと、私は思う。
それが、目の前の人や動物、環境を大切にしたい、なんでもいいのだと思う。
「生きたい」
それが答えで、あとは
「どう生きたいか」なのかなと、
私の中でここに落ち着いた今である。

ここまでくると、もしかしたら依存という言葉は必要なくなるのかもしれない、なんて書きながら思う私。

純粋に自分はどう生きたいか、まさに自分の人生の主導権は自分にあり、自分という映画の主人公なのだ。

たまには誰かに寄りかかり、寄りかかられ、手を引っぱることも、引っぱられることもあるだろう。
たぶんそれくらいがちょうどいいんだろうな。
うん。
今はこの辺で止めておこうと思う笑


725

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?