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「ひろしまタイムライン」と、「剥き出しの言葉」

「もしも日本が戦争をしていた1945年にSNSがあったら」...そんな設定で、NHK広島放送局が取り組んだ「1945ひろしまタイムライン」という企画。実在する3人の方々の当時の日記などを手がかりに、広島市民3人のアカウントが、原爆投下前の日々のこと、投下当日やその後の街の様子などをツイートし、話題となった。

とりわけ8月6日、緊迫した発信内容が広く拡散されたことはもちろん、「そっちに行っちゃだめ!」「一人で大丈夫?」とTwitter経由で声をかけている人たちにとって、もう3人は遠い他者ではないのだと私も感じていた。Twitterという手段を用いて間口を広げる手法は、共感するところが多々あった。

ところが、アカウントのうちの一人「シュン」さんによる複数のツイートが波紋を呼んだ。「朝鮮人」という記述が出てくる、いくつかの発信だ。

もちろん当時、朝鮮半島出身の人々に対してどんな差別があったかを知ること自体は、必要なことだと思う。なぜならそうした差別の構造は、残念ながら現代に引き継がれてしまっているからだ。現に、「朝鮮人」という大きな主語でくくられたこのツイートが独り歩きし、「朝鮮人は当時から野蛮だ」「だから排除しなければならない」というような言葉も波紋のように広がっているのが散見される。

だからこそ、ここで必要なのは「剥き出しの言葉」をそのまま「流しっぱなし」にすることではなかったはずなのだ。

こうした問題提起に対して、「これも社会に差別があることを考える材料の一つだ」「表現の多様性を大事にするべきだ」という意見もある。けれどもそれが無批判にまかり通れば、現代のヘイトスピーチについても「考える材料だ」と歯止めをかけなくていいことになってしまう。

「企画の趣旨自体は大事だ」「いい取り組みなのだから水をさすべきではない」という声もある。もちろん、コンセプトには学ぶべきことがたくさんあった。けれどもこれでは、差別を助長するような言葉を、他の”大義”のために受け手が我慢しろ、ということにもなりかねない。それこそが差別の構造的な問題そのものだと思う。

少なくともこの企画の狙いは、こうした書き込みに対し、「やっぱり朝鮮人は野蛮だ」等の他者を排斥する表現を含んだレスポンスを増やすことではなかったはずだ。”リアリティ”を重んじるあまりこうした結果を招くのであれば本末転倒だし、せっかく心の距離を縮めてくれた企画なのに、こうした表現によって遠ざかってしまう人もいるだろう。

「注釈を逐一入れたら野暮ったい」「いちいち注釈を入れたら企画が成り立たない」という声にも違和感がある。一人のアカウント「一郎」さんの投稿には、記事の画像に明記という形ではあるものの、「現在では適切でない表現を含む場合がありますが、歴史的資料としてそのまま掲載します」という記載がある。

今回の件で注目をされたのが、大和和紀さんの漫画『はいからさんが通る 新装版』の末尾に記された「読者の皆様へ」という文章だ。主舞台は大正時代。読み進めると、主人公が直面する男尊女卑の言葉、女性の容姿を揶揄するような表現が多く見受けられる。

これに対して「読者の皆様へ」で、大和さんはこう記している。

言うまでもなく、出自、人種、国籍、職業、性別、病気、障害などを根拠とした理不尽な差別は、あってはならないことです。しかし、紅緒(※主人公)たちが生きた時代にはこうした差別意識がたしかに存在しました。

さらに、この作品が雑誌連載で発表されたのは1975年から77年にかけてであり40年の月日を経ているため、当時の社会規範の影響を強く受け、今日から見れば不適切な表現が含まれていることを認めている。とくに同性愛に関する侮蔑的もしくは不正確な表現について、具体的にどのような表現が、なぜ今日では不適切なのかを明確に記している。全文を読みたい方は、実際の新装版をご一読されることをお勧めする。

こうしたメッセージを読むと、「ひろしまタイムライン」にもやり方はあったのではないか、とやはり思う。私は「すぐにツイートを削除すべき」「企画を止めるべき」とは思わない。例えば、『はいからさんが通る』の「読者の皆様へ」のような文章を、メインサイトにアップして固定ツイートにする、特定のツイートが独り歩きする恐れがあるのであれば、連ツイでそのURLを投稿するなど、選択肢は考えられたはずだ。

実は私が一番気になったのは、このツイートだった。

この「ヨ」という書き方は、上手く”国語”が話せないことへの侮蔑的な表現にも思える。

私の祖父は戦時中、13、4歳で日本に渡ってきた。1910年、日本は朝鮮を植民地とし、土地や生活の糧を奪われた人たちや強制的に連行された人々が、祖父と同じように日本で生活することを余儀なくされた。

朝鮮半島では1941年の国民学校規程により朝鮮語が教科科目から消え、学校や官公署で朝鮮語の使用が禁じられた。祖父ももしかすると、たどたどしい日本語を話していたかもしれない。このツイートの、語尾を揶揄するような書き方に、言葉を奪った側の傲慢さを感じるのだ。

広島でも多くの朝鮮半島出身の人々が、被爆し、犠牲となり、その後も十分な支援を受けられずにいた。このツイートをただ流すことで「あとは考えて」というのは、その傲慢さから抜け出せきれずにいることの裏返しのようにも思う。

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ちょうど昨日、共同通信の「朝鮮半島出身者らの追悼看板に傷 生徒ら修復要望、相模ダム」というニュースを目にして、私は現地に赴いた。相模ダムは戦時下の労働力不足で、中国や朝鮮半島出身者も建設に従事させられていた。過酷な労働環境や非人道的な扱いで、命を奪われた人々もいる。

報じられている通り、石碑の看板には、朝鮮半島出身者についての記述の部分のみに、人工的にひっかいたような傷跡が複数個所残されていた。誰が何の目的でそうしたのか、まだ分からない。

看板の文章には、「尊い犠牲を忘れない」という趣旨のことが書かれていた。けれどもただ尊ぶだけが、私たちの答えだろうか。なぜその命は奪われなければならなかったのだろうか、毎年夏に増える戦争報道の中で「加害の記憶」はどこまで省みられただろうか。それが「ひろしまタイムライン」のような企画をとのように組み立てていくべきかを考える、一つの鍵になるかもしれない。

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相模ダムのすぐそばにある石碑の看板、2020年8月25日撮影

追記:2020年9月6日
投稿のもととなる日記を書いた新井俊一郎さんのインタビューが朝日新聞に掲載されました。企画、掲載過程で新井さんに対しても説明責任が欠けていたのではないか、ということが浮き彫りになっています。

追記:
朝鮮半島のことや、そこにルーツを持つ人々の文化を、もっと知りたいと思った方へ。9月22日、ジャグラーのちゃんへん.さんを迎えてのイベントを開催します。ちゃんへん.さんのインタビューはこちら。ぜひご参加下さい。

「カルチャーから知る、朝鮮半島のこと」
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【イベント概要】
日時:2020年9月22日(火・祝日)19:00~20:30
視聴方法:YouTubeLive配信
参加費:社会人1,000円、学生無料(要申込)
共催:Dialogue for People、早稲田大学韓国学研究所
協力:株式会社 Life.14
申込:詳細はこちら
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※私たちDialogue for Peopleの取材、発信活動は、サポーターの皆さまに支えられています。詳細はこちら。


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