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森喜朗氏の「女性がたくさん入っている会議は時間かかる」発言を「下支え」しているものは何か

東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長が2月3日、JOC(日本オリンピック委員会)の臨時評議員会で下記のような発言をしたことが報じられました。

「女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手をあげていうと、自分もいわなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです」
「女性の理事を増やしていく場合は、発言時間をある程度、規制をしないとなかなか終わらないので困ると言っておられた。だれが言ったとは言わないが」

全文はこちらの記事に記載されています。

過去、森喜朗氏は「子どもを一人もつくらない女性が、年とって税金で面倒みなさいというのはおかしい」など、女性蔑視の発言を繰り返してきました。この時にあがった批判の声から何も学んでいないことが浮き彫りとなりました。

これに加えて気になったのは「私どもの組織委員会に女性は7人くらいか。7人くらいおりますが、みなさん、わきまえておられて」という発言です。

「わきまえている」という言葉には、自分にとって都合のいい女性とそうではない女性を恣意的に選別できると考えている、ある種の特権意識がうかがえます。 #わきまえない女 で怒りの声が寄せられているのは、こうした目線に対する反発もあるのではないでしょうか。

今日、2月4日午後、森氏は「謝罪会見」を行いましたが、わずか20分ほどで打ち切られてしまいました。

動画からも分かるように、記者の質問を遮るように発言したり、開き直るような態度をとったり、「いくつか発言します」という記者に「一つにして」と注文をつけたりしながら、「女性は話が長いと思っているのか」という問いに「最近女性の話を聴きませんから分かりません」と答えています。昨日の発言から、さらに「後退」してしまった印象です。

これは「謝罪会見」というより「ひとまず"謝罪会見"をしたという形を作る」ためのものだったのではないでしょうか。ここまでの無反省さを目の当たりにすると、「五輪はコロナに打ち勝った証」「希望の光に」という言葉が益々空虚に思えてきます。

単なる発言の「撤回」は「幕引き」ではありません。発言の何が問題で、繰り返さないために何をしていくのか、具体的に示さなければただうやむやになるだけに終わってしまいます。

森氏は「一般論として、女性の数だけを増やすのは考えものだということが言いたかった」とも”釈明”しています。「単に女性の数を増やせばいいわけではない」ということは、森氏に限らず耳にする言葉です。これについては上智大学法学部教授、三浦まりさんのインタビューが参考になります。

―「女性活躍推進」に対して、「単に管理職に女性が増えればいいわけではない」、という声を耳にすることがあります。

「単に~」という政策はないんです。女性の地位、賃金格差、貧困、性暴力の問題など、そのどれもが互いに関連しているものです。だからこそ、始められるところから始めなければならないと思います。どれを切り口にしたとしても、それだけでいいということは全くありません。例えば、ハラスメントが横行している職場で、管理職の女性は増えてはいかないでしょう。そしてハラスメントを防ぐためには、性暴力全体が防止されるような仕組みが必要です。こうして、あらゆる場面における性差別が撤廃されていくには、様々な制度が連鎖的に変化を起こしていく必要があります。女性の管理職を増やす、ということはあくまでひとつの指標ですが、そこには様々な他の問題が表れるからこそ、注目する価値があるのです。

私自身この仕事を始めたばかりの頃、「男みたいにたくましいねえ」「男勝りだねえ」という言葉を、単純に”褒め言葉”だと思ってしまっていたことがありました。本当はマジョリティーに合わせていくことが「正解」ではないのに、数の上で圧倒されると、その不均衡を知らず知らずのうちに内面化してしまうことがあるのかもしれません。

こうした構造的な問題に目を向けていないからこそ、「単に数を増やしても~」という声があがってしまうのでしょう。

これだけ問題発言が報じられても、いまだ「日本に女性差別はない」という声さえ耳にすることがあります。けれどもそれはマジョリティーの側だからこそ、そうした声が聴こえてこないか、聴かないようにしていることの裏返しではないかと感じます。

森氏の発言は海外でも大きく報じられていましたが、ニューヨーク・タイムズの記事が大切な提起をしています。森喜朗氏の発言を問題視するだけではなく、その場の参加者が発言を黙認したことへの批判もしっかり書かれていたのです。

「JOCの評議員会のメンバーからは笑い声もあがった」と報じられていますが、笑いごとではありません。

こうした蔑視、差別の発言が繰り返されてきたのは、周囲が受け流し、問題視されても「どうせそのうち、ほとぼりが冷めるだろう」という考えや行動がまかり通ってきたからでしょう。「まかり通ってきた」というよりも、「まかり通らせてしまった」のだと思います。それは、社会の中に、負の下支えをしてしまうような構造があるからではないでしょうか。

以前から報じられているように、2019年12月に「世界経済フォーラム」が発表した「ジェンダー・ギャップ指数」で、日本は153カ国中121位と、過去最低の結果となりました。

このジェンダーギャップの問題は、森氏の発言を報じる側のメディアも例外ではありません。

例えば、2020年3月に発表された時点のものではありますが、民放連では「在京・在阪局ともに、報道部門、制作部門、情報制作部門の局長には女性はひとりもいない」という調査結果を報じています。

森氏の発言を問題視することはもちろん、これを皮切りに、大きな構造の問題に切り込んでいく必要があるのではないでしょうか。

(新聞労連中央執行委員長、吉永磨美さんのTwitterより。)

最後に。抗議の声があがると、「怒りでは何も変わらない」という言葉が飛び交うことがあります。こうして差別を受ける側の態度や受け止め方の問題に矮小化することこそが、変化を阻むものでしょう。今大切なのは、その怒りの元となった理不尽な発言が繰り返されないための、具体的な行動ではないでしょうか。

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