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cakesの人生相談連載に思うこと。

「cakes」での写真家、幡野広志氏による相談連載「幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう。」で、4月26日に公開された記事に多くの批判の声が寄せられました。

記事は、14歳の中学生から寄せられた相談への回答で、幼馴染が家庭内暴力や金銭搾取を受けているなどといった悩みに対するものでした。

これに対して幡野氏は「キミの友達が悪いとはまったくおもいません。ただ若いだけ。そして環境に恵まれなかったというだけ。友達が自分で解決できる環境でもないし、解決する力も知識も行動力もまだ持っていない。そして、その力がないのはキミも同じなの」などと回答していました。

子どもは生まれた家庭を選ぶことはできません。「環境に恵まれなかった」と切り捨て、子どもたちの間に理不尽な格差を生み出さないために、相談機関や児童福祉は存在するはずです

「その力がないのはキミも同じなの」

そう、だからこそ、周囲の大人が先回りをして、しかるべき相談先につながなければならなかったのではないか…そうした声が相次いで寄せられていました。そもそもこれだけの深刻な相談であれば、「記事上での回答」ではなく、個別に対応すべきだったのではないかと私も感じていました。

「炎上」後、cakesは記事を早々に削除。ハフポストの取材に対しても「個別記事の詳細については、回答を差し控えます」として答えていませんでした。

記事の内容にも、こうしたcakesの姿勢にも疑問を感じ、私は同じnote株式会社運営のプラットフォームを使っているこの「COMEMO」への投稿を一旦、休止していました。

今日5月7日、cakesからこうした発表があったので、敢えてここに書きたいと思います。

幡野氏はこの中で、「DVやネグレクトや虐待という言葉の使用はあえて控えました。相談者さんにとってはあくまで友達の彼氏と親であるし、言葉の重みでプレッシャーになると考えたからです」と記しています。

何に配慮しながら言葉を選ぶべきなのか、難しい局面もあると思いますが、被害を被害と認識することで、初めて「声をあげていい」「相談をしていい」と気づけることがあります。

幼い頃に性被害に遭った方にインタビューをさせてもらったとき、「その時は漠然と、何をされているのか分からなかった、恐いという感覚だけが先走って、誰かに相談しようと思えなかった」という話をうかがいました。

後から、あれは「性被害」だったんだ、相談してもよかったんだと気づいた彼女は今、自身の子どもに、体の大切な場所、プライベートゾーンについて幼い時から教えているのだといいます。

大人がこうした被害について、やんわりとベールに包んでしまうことで、声をあげる機会を逸することになってしまう場合があることも認識すべきではないかと思います。

「なんだかもやもやしているけれど、違和感を上手く言語化できない…」という時、「概念」を知ることによって「あれはハラスメントだったのか」「あれはマンスプレイングだったのか」と自分の考えを整理して向き合えることがあります。

こうした概念の功罪について、荻上チキさんが分かりやすく解説してくれています。


また幡野氏は、相談者本人からの声として『私は幼馴染に何となく申し訳ない気持ちがあったというか、なにも出来なくてごめんねなんて思ってたのですが、幡野さんのおかげで少し気持ちが軽くなりました。』というメッセージが寄せられていると紹介しています。

Twitter上では「相談者本人がよかったと思っているんだから、それでいいのでは」という声があがっていました。

大前提として、「当事者の思いを大切にすること」と、「当事者に記事の正当性まで背負わせること」をはき違えてはいけないと思います。特にその当事者が未成年であれば、なおさらです。

その場で相談者さんに、「一時的に」安心してもらう言葉をかけるのも、確かに大切なことではあるのかもしれません。けれども本来の安心は、幼馴染の心身の安全が守られる状態になることのはずです。

また、「記事を公開する」ことによる、社会的な影響は、執筆者も編集側も常に考慮すべき点だということは言うまでもありません。

今回、結果として、まるで「自己責任」であるかのような書き方になってしまったことで、「こういう相談が来てもこういう回答しかできないんだ」「こういう子が周りにいても、どうにもできないと思うしかないんだ」という誤ったメッセージにもつながってしまう可能性もあります。

無自覚のうちに態度が伝播する「態度摸倣効果」という現象は、SNS上でも強力に働いているように思います。これについても、荻上チキさんの解説動画があります。

昨年10月、DV被害者からの相談を「嘘」や「大袈裟」と指摘した幡野氏の記事も炎上し、その後、専門家との対談でDV問題について学ぶ連載企画を掲載していました。

その直後に今回のような記事が掲載されたことを考えると、編集やチェック体制など、構造的な問題に切り込んでいかなければ、書き手が変わったところで、同様の問題は繰り返されてしまうのではないでしょうか。

前回のDV被害を「嘘」と決めつける記事が出るまでにも、様々な負の積み重ねがあったのだと思います。

「よく読まれるから」と編集側も無批判になっていなかったか、共に活動してきた人たちがこうした問題をスルーしていないか、声の大きな人が無知のまま記事をもてはやしていなかったか、その視点を踏まえた、具体的な再発防止策を望みます。

参考:

DV相談プラス

虐待対応ダイアル「189」

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