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大学入学後ブレイクダンスを始める。大学卒業後、某部品商社に就職。東京→名古屋→大阪と転…

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大学入学後ブレイクダンスを始める。大学卒業後、某部品商社に就職。東京→名古屋→大阪と転勤。ダンスでの遠征や仕事の出張の合間に全国各地のイベントに多数参加。現在でもアグレッシブな心を忘れずに挑戦し続けている。また、2021年の7月に会社を辞め、フリーランスになるよう勉強している。

最近の記事

お調子者がMIND TRAILを観た感想

お久しぶりです!! 最近は年内にクライアントのホームページを制作するために時間に追われていました。。あとちょっとでできそうなので、休憩がてら、自分の思考のメモをしていきたいと思います。 10月かくらいに行きました奈良県吉野町で行われたMIND TRAILを考察していきます。ちなみにこのMIND TRAILは曽爾村、天川村でも実施されていました。生憎、僕は予定が合わず行けなかったですが、もしまた実施して頂けたなら、足を運びたいですね! MIND TRAILはその村や町全体

    • お調子者がもし子育てをした時の方針は!

      ここ最近、仕事もダンスも忙しくて、久しぶりの更新になります。。。 毎年、お盆になると実家に帰るのですが、ふと思ったことがあります。 母親が弟たちに自分のさせたい習い事を勧めまくって、「やりたい」と言わせてることがありました。 それは、習字硬筆や塾、水泳、ピアノなどです。その中で本当にやりたかったサッカーだけが今も続けてやっています。 父親は自分でやりたいといったことはやらせる主義なので、母親がやりたいと言わせ、強引な自主的習い事をしていました。 確かに、将来的に字が

      • パソコンが苦手なお調子者が初めて作成したマイホームページ!!

        0からHTMLとCSSを勉強して作った自分のホームページ。 #つくるのはたのしいに参加したくて、すぐに投稿します笑 なんで、Webデザインの勉強をしようと思ったかと言うと、最初はダンスを続けていきたいからでした。やっぱり、練習もバトルもパーティーも好きなのに、今の仕事が忙しくて諦めるのは自分にはできなくて、新しい収入を考えようって思ったからでした。 そこで、営業マンの僕は話すこと、提案することが好きで、それを含めて職を考えていました。 調べたら、コミュニケーション能力

        • お調子者の個展への考察

          今回、オラファー・エリアソンの『時に川は橋となる』を見に行ってきました!!! 今日はこの展示のいくつかを考察したいと思います。 上記の1枚ですが、「太陽の中心への探査」になります。注釈:生きていくために不可欠な存在である太陽とこの世界を成り立たせている構造や法則への思考が見て取れます。 僕は、なぜこの写真に写っている人たちのように、太陽だけを撮らなかったのか。それはここに集まっている人々含めて、この空間全体で作品が完成されているなと感じたからです。 具体的に端的に言い

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          お調子者の実は過酷だった今までの人生④

          『サークル活動について』 大学入学後、約5000人所属しているダンスのマンモスサークルに入って、ブレイクダンスを始めることになった。同期のほとんどはは経験者。僕は初心者。明らかに実力が天と地ほど離れていた。 正直、仲良くしているだけでは上手くならない。勝つことはできない。だから、下手でも4月からずっと学生限定のバトルに出ることにしていた。負ける度にその悔しさ、反省を込めてめちゃくちゃに練習した。 バイト〜授業の終わりに毎日地道な基礎練習。やりたい技の練習をしてきた。

          お調子者の実は過酷だった今までの人生④

          お調子者の実は過酷だった今までの人生③

          『夜間大学について』 僕は東洋大学国際地域学部国際地域学科地域総合専攻卒業である。 文や言葉だけでは分からないと思うが、これは東洋大学の夜間の学部である。東洋大学は昼間と夜間で一応別れている。 下記にあるのが通ってからの大体の流れ 一日のスケジュール7:30 起床、飯、着替えなどのルーティン8:30 洗い物、洗濯物、片付け9:30 出発10:30 バイト17:00 バイト終了18:15 授業開始21:30 授業終了、練習開始23:00 練習終了0:00 帰宅1:00

          お調子者の実は過酷だった今までの人生③

          お調子者の実は過酷だった今までの人生②

          個性について① 中学校から高校までバスケ部だった。小学生の頃は空手、柔道、サッカー、野球などやって、あと何をやったかは覚えていない。 ほとんど、親に言われて始めて続かなかった。野球は友達がきっかけで始めたけど、6年生の僕はそんなすぐには同じ土俵に立てず、辞めてしまった。 よくある、習い事が続かない小学生だった。 そんな中、出会ったのはバスケだった。始めた理由は好きな女の子がバスケ上手かったっていう年頃の考えだ。 それから、自分でボールを買って、学校の校庭でずっと練習

          お調子者の実は過酷だった今までの人生②

          お調子者の実は過酷だった今までの人生①

          育児について 2日前に24歳になりました。 僕には、専門学生2年の妹、小5、小4の弟がいる。妹はずっと一緒で全部血が繋がっていて、弟は半分違う。 弟が生まれたのは、中1、中2の時で、その頃の僕は、バスケ部に入って、朝晩部活に励んでいたバスケバカだった。 しかし、生まれる前に、父親が企業をし、家族はとても忙しかった。父母ともに、共働きで、妹は小学生。生まれたばかりの弟の面倒を見る人は中学1年生の僕しかいなかった。 レギュラーになりたい一心で練習をしていたが、弟の面倒や

          お調子者の実は過酷だった今までの人生①

          お調子者の不透明な未来思考

          初めまして。natsukiと申します。 僕は来年の7月に会社を辞めて、フリーランスになるよう努力していこうと決めました。 普段は某メーカー兼商社で営業マンをしていて、ブレイクダンスもしています。 辞める理由 ・転勤、出張が多すぎる ・作業時間が多く、拘束時間が長い。つまり営業としての仕事は作業が終わってから ・古い人が多すぎる。顧客も身内も古い人ばかり ・ダンスへの時間がかけられなくなりつつある なぜ来年なのか ・テックキャンプへ通うお金が必要 ・引越

          お調子者の不透明な未来思考