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和歌山県・和歌山市/教育委員会の不登校に対する姿勢について思うこと。

不登校と和歌山市の教育委員会


2019年に、「不登校は不幸じゃない」という不登校に関する支援イベントを行なったのですが、その際に、和歌山市と市の教育委員会に対して後援名義の申請を行いました。

その際、市や市教委が不登校に対してどのような見解・スタンスでいるのか?
教育委員会の担当者と直接話して、色々と思う機会があったので、時間に流されて消える前にと、当時の記録をメモに残していました。

・・・もう3年前になりますし、数ある自治体の中の1つに過ぎませんが、せっかくなので忘備録としてこちらにも遺して置こうと思います。

※以下、2019年7月に残した当時の手記より転載。



「夏休み明け、子どもの自殺が1番多くなる」

ボクには、不登校の長男がいます。

長男が、この現実や数字と向き合う機会をくれました。
今まではどこか他人事だった、不登校や自殺に関する色々な情報や現実に触れて、思いました。

・そんな事あっていい筈がない
・1人でも自殺する子どもを減らしたい
・学校へ行くのが本当にツラくて苦しんでいる子が自殺という悲しい選択をする前に、「死を考えるくらいなら学校に行かなくてもいいんだよ」と別の選択肢がある事を伝えたい
・何とか学校へ行って貰いたいと無理やり登校させている保護者の方には、学校は大事だけど、子どもの命との天秤にした上で判断して欲しい
・人生は学校に行かないと真っ暗な訳じゃない
・不登校は勉強の遅れや社会性や進路に不安があるかも知れないけど、今の時代は社会に出て求められる能力も昔とは違うし、勉強もコミュニティも代替手段が沢山あることを知って欲しい

これらの気持ちから、
先日の2019年8月18日に、 #不登校は不幸じゃない in 和歌山市 を開催しました。



不登校支援イベントの後援名義申請


なおイベント自体は無事に終えたのですが、今回書き残したいのは、開催に先立って行った #後援申請 についてです。

7月上旬、前述の不登校児童生徒・保護者支援のイベントを開催するにあたり、ボクは和歌山市にイベントの後援名義の申請を行いました。

ちなみに和歌山市の教育委員会の後援名義申請の審査担当は「子ども支援センター」という市教委直下の組織でした。
ここは(全国で2つしかないらしいけど)福祉課の子ども支援センターと市教委の相談課とが統合され且つ今なお両組織が同居してる状態で、センターにいる職員は日々不登校の家庭・親子と接している現場スタッフでもありました。
(※これは2019年7月時点での予備情報です)

そして、後援名義の申請は、「和歌山市」と「和歌山市教育委員会」の2ヶ所に対して行ったのですが、申請にあたってボクは、個人的に「不登校を肯定する」という表現や「学校は行かなくていい」というコピーについて、真意はともかく語彙が与えるイメージが好ましくない(≒当事者以外には好意的に受け止め難いだろう)という懸念・印象を自分自身が持っていたので、申請書にはこれらの文言を使わずに、「不登校は問題行動ではない」とする文科省の教育方針と「教育の手段は学校に限らなくて良い」とする「教育機会確保法」に基づいて不登校の子供を支援し、「夏休み明けに自殺する子どもを減らしたい」を開催主旨にしました。

そして、申請の数日後、和歌山市教育委員会の方から一本の電話を頂きました。

担当者
「この度の申請の内容に関しまして、直接会って具体的に話しを聞かせて頂けますか?」

果たして興味を持って頂けたのか!?

実のところ余り期待はしていなかったので意外な反応でしたが、興味を持って頂けたなら嬉しいし後援名義を頂けるに越した事はありません。

ボクはすぐに「仕事終わりの時間でもよければ」とお伝えしたところ、「それで良い」とのお返事を頂いたので、こちらももちろん快諾し、翌日は同僚や上司に無理を言って仕事を無理やりに切り上げて、「子ども支援センター」という前述の市教委直下の施設へ赴きました。

そして当日、和歌山市教委の担当の方は2名いらっしゃって、ボクは当日資料も用意して、申請書の紙面だけでは書き切れなかった主旨の補足と背景にあるデータや想いを語りました。

(以下、伝えた主旨の抜粋です。)

「学校で学ぶことは勉強だけでなく、集団生活や時間感覚、コミュニケーションや運動など色々とありますし、問題なく行けるのであれば(理由なく1人で自宅にいるよりは)行った方がいいと思っています。
ただ、学校と命のどちらが大事かといえば、間違いなく命の方が重いと考えます。」

「だから、学校に行くのが辛くて、もしも死を選んでしまう事になる恐れがあるのであれば、『学校に行かないという選択肢』を選んでもいい。それは決して問題行動じゃないし、その選択肢は否定しなくていいし、その選択肢に子どもも親も『罪悪感』を覚えなくてもいい。」

「ただ、興味を持てる事や、夢中になれるモノ、社会との繋がりや、何かしら見つけた方が良いと思っています。」

「学校で育まれるモノは多いけれど、勉強やコミュニティは今の時代は代替できるツールやサービスが多々あるので、必ずしも学校に行かないと得られない事はない。」

「仮に不登校になっても人生は不幸じゃない。方法は幾らでもあり、未来は暗くない事を知って欲しい」

また、それらの想いの部分だけではなく、不登校の数が14万人という、文科省が公表した先年の調査結果の数字や、保健室登校などを含めると44万人もいる大きな社会問題であること、あるいは「不登校は問題行動ではない」といった内容を含めて文科省が全国の教育委員会に通知した内容や、「教育の手段は学校に限らなくて良い」とする「教育機会確保法」など、文科省の方針に反しない内容である事も伝えました。


教育委員会の対応


ところが、教育委員会の担当スタッフさん達の話を聞く姿勢に、何かずっと違和感がありました。

途中から薄々勘付いてはいたけれど、終盤にさしかかったところで、担当された方からこのように言われました。

担当者
「このような活動は本当に大切だし応援したいし有難いし救われる方がいると思うけれど…」

何か、頃合いとばかりにまとめようとしてきたので、すかさず直球を投げることにしました。



ちょっと待ってください。
確認ですが、本日は審査の為に具体的な内容を聞きたいとのことで伺ったのですが、もしかして既にNOの審査結果ありきで話されてますか?」


すると、もやもやとした回答が続きましたが、結論だけ言うとやはり既に承認できないという結論あっての時間だったようです。

流石に、仕事を無理矢理切り上げて、急いで帰って、プレゼンしてたら、実はNO判定を伝える為に呼び出されてたとか、不愉快極まりない気持ちでした。

そうした一連の対応自体にも色々と思う事はありましたが、そこを責めても結果が変わる訳ではないのも分かっていましたので、せめてと思い気持ちを切り替えました。

「ダメならダメで想定はしてましたので、変に期待させず正直に電話で言って欲しかったのが本音です。わざわざ誤魔化した理由で呼び出してそれは、後援が得られなかった事よりショックですし失礼だと感じています。」

「ただ、それを責めても何も建設的な意味はないので、それなら後学のためにここから先は腹を割って話して頂けますか」

私は出来るだけ、努めて穏やかに、その不許可の理由や本音の部分について掘り下げて尋ねました

そして、色々と質問をし、その都度なにかしら回答は貰ったのですが、結論から言うと、次の通りでした。

市教委
「教育委員会としては、不登校がなくなるように学校の教育制度や在り方の改革を進める立場なので、不登校を支援する活動に後援名義を貸すことは(世間一般の方に対して)教育委員会の姿勢を誤解される恐れがある」

との事でした。

・・・どう考えても、おかしいですよね。



教育委員会の一問一答。

文科省だって不登校の選択肢を許容してて、問題行動と見てはならないとして、学校外の教育機会の確保や支援についても全国の教育委員会に通達してるのに、「世間一般に立場を誤解されるから」だって。

以下、質問と回答の一部始終について、要点のみ抜粋。
※結論を聞く前のやり取り含む


Q.イベントの発起人である和歌山出身の小幡和輝さんについてはよく知らないと仰っておりましたが(説明中で名前を出した時によく知らないと言われた)、その後の話で、不登校に関する著者を和歌山の学校に無償配布した件などに触れてましたよね?
何か知っていると言わない方が良いという判断、背景があるのですか?

A.いえ、そういう訳ではありません。ただ、彼のメッセージやブログや動画を見ましたが、「不登校を肯定する」という表現が、(私達は真意は分かるけど一般の方の中には誤って解釈する人がいると思うし)抵抗がある。

(…めちゃめちゃ知ってるやん。自発的にブログとかまで目を通してるやん)


Q.肯定するという表現が無かったならどうだったのか?

A.それだけが原因だけではないので難しかったと思う。


Q.それでは「再登校」をゴールとするような構成・主旨でもダメだったか?

A.再登校だけが全てだとは思っていないのでそれでどうこうとは言えません。


Q.和歌山市教育委員会として、これまでに不登校の子どもや家庭を支援するような活動に後援名義を許可したことはあるか?

A.(もごもご色々いいつつ)近年は記憶にありません。


Q.教育委員会を通さずに学校の校長先生などに話をさせて貰うと、教育機会確保法や不登校が問題行動ではないとする文科省の方針を知らない方もいて、びっくりした。
また学校によっては好意的に賛意してくれるところもありましたし、このイベント自体は昨年も全国100箇所以上で開催していますので、昨年も今年も、広島市や京都市のように他の自治体では不登校支援に理解があったり、時代の変化を受け止めていたり、文科省の方針に沿うものとして後援名義を許可しているところも沢山ある訳で、もちろん自治体によって違うことは知っていますし、今後のために「どこの自治体は不登校に理解があるのか」といった統計も集めているのですが、今後どのようにしたら後援が得られる可能性がありますかね?

A.仰る通りで変革が必要だと思いますし、教育委員会としては「不登校が出ないような学校作りや改革」を応援する立場なので、不登校が出ることを応援するという意味で名義をお貸しするのが難しい。


Qここまで聞いた話を統合すると、「不登校を肯定するの意味を誤って受け止める一般の方がいる」事の懸念ではなく、不登校を支援する活動に後援名義を許可すると「教育委員会は学校改革より不登校になる事を応援していると一般の方に思われる」事を懸念しているのではという印象を受けるのですが、そんな感じですか?

A.まぁ、そういう側面もないとは言えません。色々な活動があるし、不登校にも色々な状況があるので、もちろん学校に行くことが余計に苦しめる事になる子もいるので、そういう子には自宅にいたり他の学習機会を選ぶのが1番良いこともあると考えていますし、色々な方面をもちろん応援しますので、不登校を選んでいいという今回の活動を応援すると前面に出すのは、他の方面を応援している事が分かりにくくなる面はあると考えもあります。

(他の方面を応援している事が分かりにくくなる面?なんの事を言っているのかここだけは理解できませんでした)



抜粋ですが、こんな感じ。

ちなみに、対応してくださった担当者2名のうち、2年前まで現場で教員をしていたという30代前半の男性の方はが、帰り際に(涙目で?)頑張ってくださいと声を掛けてくださったのが印象に残りました。


これでいいのですか!?
和歌山市ッ!!!


本業の仕事が多忙すぎて中々時間が確保できないのだけれど、出来るだけ早いうちに、#和歌山市長 や #和歌山県知事、#和歌山県教育委員会 にも、これらの経緯も含め、見解を伺いたいと思っています。

学校の改革はもちろん大事!必須!!

でも、現在進行形で死を考える程に苦しんでいる子達がいるんです!

「改革するからそれまで頑張って学校に行け」とでも言うのですかッ!?

「不登校が出ないような学校に改革する立場だから、学校に行かなくてもいいよという声は応援出来ない」って!?

そうしてる今も、明日も、数日後も、
夏休みが終わって学校へ行かなくてはならない苦しみから逃げたくて、逃げる場所がなくて、死を選ぶ子がいるんですよ。。

学校へ行きたくないと「言えない子」が。
勇気を振り絞って行きたくないと言ったのに、「学校は行かなきゃならないと思い込んでいる親」に無理やり行かされる子が、唯一の逃げ場である自宅を追われて、死を選ぶんですよ。

学校に行きたくなくて自殺する子がいるのに、そこまで苦しんでる子は学校に来なくてもいいよと伝える活動に対して「誤解される恐れがあるから応援出来ない」って、納得できますか?

皆さんは、どう思いますか?



※なお後日、和歌山市長、和歌山県知事、和歌山県教委にもそれぞれ、前述の対応や経緯の説明を含めて質問状を送りました。

しばらく時間を空けて、和歌山市役所 教育委員会事務局 学校教育部学校教育課 子ども支援センター
からと、和歌山県教育委員会教育支援課から、それぞれメールにて回答があったのですが、いずれも「真摯に対応して参ります」的なモノで、具体的に心を砕いてなされた対応等には感じられませんでした。

※回答メールの全文を掲載しようかと思いましたが、万が一、ボクの知らない法律に抵触すると困るので控えておきます。


公教育を行う現在の学校制度というより、今後に向けて新しい制度としてボクはメタバース学校の設立を提案します。


我が子が不登校になって困惑されたり悩まれている方に向けて、ボクの場合ですが感じた事を書いていますので、よろしければご覧ください。


他にも色々と不登校に関連して思うことはこちらのマガジンにまとめています。


過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。