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望まなかった妊娠、、そのナミダの真理

瞑想との出会い①


イラムカラプテ滞在1週間から日常に帰って、
はや2週間、、、

あいかわらずとても忙しく、
子供たち3人との生活は、
一見、なにも変わらない
日常の続きのようでいて、
私の内面は、本当にすっかり、
何もかも変わっている、ということを
日々日々感じている。

そこで起こったたくさんの気づきを、
少しずつ、
このnoteに綴っていきたいと思います。
お付き合いいただけたら嬉しいです。


この滞在1週間というのは、本当にある意味
予期せぬギフトな出来事で。
私は3人の子供を出産後、とにかくずっと体調が良くなかった。
特に3人目を40歳の歳で出産してからは、
車で言うと常に
ガソリンの「エンプティランプ」が
点灯しながら、
無理やり走っている状態で、
日々日々生きている感覚でした。

休んでも休んでも、ガソリンが溜まらず、、、、
少し溜まったかな、、、と思って
頑張ると、すぐガス欠、、、の繰り返し。

でも体調に心まで引っ張られることがなくなり、
常に精神の健康さを
保てるようになっていたのが、
また不思議な現象で、、、、。
ただ、とにかく何をしても疲れてしまう自分に、ほとほと呆れていたんですよね。

誰もが創造主である、ということの意味は、
人生はすべて「自作自演」である、と
いうことと同意と腑に落ちていた私は、
この体調不良を一体
いつまで「自作自演」すれば
気が済むんだろうか、、、、と
もううんざりしながらも、
何をしても良くならず、、、。

そんな折、いつも私を気遣ってくれていた
姉から、
このイラムカラプテ滞在1週間、一緒に行こう!という提案をもらい。。
たまたまそこに居合わせた
(たまたまではなく天の計らいなんだけど)、
宇宙ファミリーのみんなの最大の後押しもあり、スッと行く流れに乗ることに。

それまでに私も自分自身の、
そして母としての罪悪感というものを
手放すことをやってきたおかげか、
その決定に少しの罪悪感も持たずに、
夫とみんなの協力に心から感謝の気持ちで、
ただただ何もせず、
とにかく体を休ませよう。
その一心で出かけたのでした。


イラムカラプテ、という場所には一度訪れたことがあり。
その場所は当初シャロムヒュッテ
という名で憧れの存在ではあったけれど、
その創設者であった臼井ご夫妻に会いに、
シャンティクティに滞在したついでに
「ちょっと寄った」程度で、、、

素敵な場所である、ということだけは知っていた。笑
けれど、それ以上は
「瞑想する場所」ということぐらいしか
知らず、、、
瞑想も強制ではないし、したい人だけがして、
あとは好きに過ごそう、くらいにしか考えていなかった。

ただ、姉に教えてもらったそこに来たという
瞑想家のヒカリ君のことは気になっていた。
教えてもらったyoutubeのピアノの演奏が、
あまりにも素敵で。
それは私にとって聴いたことのない音で、
演奏だったから。
会えたらいいな、とうっすら思ったし、
会えるような気もしていた。

着いた日は長旅で、疲れ切ってしまって、よく覚えていないんだけど、、、

やっぱりヒカリくんが居た。
そして
スタッフのヨシくんの存在に、とても驚いた。

姉が「推しなの〜♡」と目を輝かせるのもわかる、、、笑

その存在感の静けさと、
雑音の無さ、、、
それでいて優しい。

シン、、、としているのに、
ふんわり、と在る。
出会ったことのない「存在」。

ふっと施設内のどこかでヨシくんの姿を見ると、
まるで、森の中でふいに小鹿を見かけた時
みたいな。

野生動物的な、シンプルで強くて、
かわいい、みたいな、
なんとも不思議な感じがした。


翌朝、初めて瞑想部屋に入った。

半地下の薄暗い部屋に、アラジンストーブと、
小さな蝋燭があり。
蝋燭を挟んで、二人、
すでに前を向いて、座っている人がいた。


あまりにも静かな佇まいで。


まるでお地蔵さんが、二人。
いるようで。

その部屋に入ったとたんに、何かが、
あって。

私も倣って、静かに座ってみた。


すると、
しばらくすると、
とめどもなく、とめどもなく涙が流れて。

理由なんてわからず。

ただただ、涙が流れて、鼻水も流れて。
ただただそのまま、いろんなものが流れてきた。

不思議だった。

でも。

そこには何かものすごい安堵感があって。

心臓はとても早く鼓動していて、
興奮しているかのようなのに、
涙は静かにずっと流れていた。

静けさが、私を包んでくれて。
その静かな静かな時間が、
私の中の奥深いところに流れ込んできて
何かを溶かしているような感覚で。

ただただ静けさが、その静かさが、
嬉しかった。

「私が求めていたのは、これだった。」
という。
なにか「出会えた」という感覚があった。

30分間の瞑想の後、みんなでシェアする時間があるんだけど、
その日は何を言ったのか覚えていない。

ただそのシェアの時間も、とっても静かで優しくて。
大好きだなぁと思った。


昼間は姉と楽しくお喋りをして。
なんとなく出産の話になって。
大笑いしながらお互いの出産話をして
今度はヒーヒー言いながら、泣き笑いしてて笑

ずっと忘れていたいろんな感情を思い出していた。

1週間の滞在中、何度かあったんだけど、
日中あったことの「答え合わせ」のような時間が、
夜中に突然やってきて、
目が覚めて気づく、というもの。

その夜も突然目が覚めて、
3人目の次男を妊娠した時のことを
思い出したのです。

このnoteでも触れていると思うのですが、
2人育児ですでに私は
育児ノイローゼ状態で、
私には「お母さんなんて無理だ」という
思いが強く、
心身ともにボロボロでした、、、

そのころ分かった、第3子の妊娠。

それは予期せぬ、いわば
望まなかった朗報でした。

分かった瞬間、頭に浮かんだ言葉を、
今でもはっきり覚えています。

「なんで、こんな私のところに・・・・・」

頭では、
「無理だ」「なんで」「嘘でしょう?」
「3人なんて」
などなどなど、否定的な言葉が
次から次へと浮かんでくる。

でもそれとは、全く裏腹に、私は、
第1子、第2子の時と、全く同じように、
ひとり、号泣していていました。

第1子、第2子の時は、分かったんです、
分かってるつもりだったんです、
「これは嬉し涙っていうものだ」って。

でも、この第3子の時は、
この涙はいったい、、、、
なんだろう?!?って。
説明がつかず、、、、、
でも、やっぱり制御不能なほどの
号泣で、、、
嗚咽してました。

嵐にのまれるように、
ただひたすら全身を震わせて、
私は泣いていました。

それはやっぱり、思えば、
ただただ感動していたんです。
命の誕生に。
ただ純粋に、圧倒的に
感動していただけだったんです。

初めて瞑想部屋で流した涙も、
やっぱり同じ涙だったんだって
気づきました。

命、魂、そのものの歓喜。

命って、生きてるってだけで、
喜びそのものだったんだって。

命を宿したその事実は、
頭で、思考で、どんなに考えたところで、
喜びと祝福でしかなかったんだ!!!!!!!
って。

夜中にまた、その実感に
どかーーーんとおそわれて、
またひとり泣いてました。

補足ですが、第3子は、まさに
ギフト以外の何者でもなく、
生まれてから今日まで、
孫のように溺愛しております、、、笑

人生って不思議なものですね。

本当に、愛を学びに、愛の不在を通して、
愛に気づく、
その通りだと思います。

もうとにかく、滞在中は本当によく泣いていた、、、笑

これが始まりでした。

また続きを、書かせていただきますね。

お付き合いいただき、ありがとうございます。








大大感謝ですm(_ _)m