3次元だけで生きられる人が羨ましい
と、ふと思いました。変なタイトルですが。
俗にいう「生きづらさを感じる人たち」って、3次元だけで生きられない人たちなのかなって。
いい成績さえ取れれば
とか、
見た目が美しければ
とか、
友達や仲間がたくさんいれば
とか、
お金をたくさん稼げれば
とか、
みんなに認められたい、成功したい
とか
いつまでも若くて美魔女のワタシ♡
とか
とか。とか。
そういう価値観に(本当は!)興味がないんですよね。
そんなことは全然意味のない、ちっぽけで空っぽなものだって事が、(本当は)わかってるんです。
俗にいう「生きづらさを感じる人たち」、「HSPの人たち」、そして別の言い方をすると「目覚めている人たち」「新しい時代の人たち」は。
そういうことは全部「外側」のこと。
卵で言ったら「シロミ」だけ。
一生懸命立派なシロミを築き上げようとしてきた。今までは、キミはそっちのけ。
もうそんな時代は本当に終わりを告げようとしているなぁと思います。
まさに終わりかかっています。
でもさ、シロミだけ一生懸命やっている方がある意味、気が楽なんですよね。
こないだ友人と話していて、大学の受験勉強している時が一番楽だったなぁと、、、笑
そんな単純な世界はないから。
目標「○○大学合格」
やること「受験勉強」
以上。
勉強していれば親もハッピー。自分も充実。八方よし!
そこ(シロミ)には「自己満足」以上のものがあると思わされていた。
「自己満足」以上に得るものや、与えるものが。。
「共通認識としての<善>や<価値>」のあるものを、求めること得ることで、評価や対価を得られるし、同時に安心や豊さもついてくる。
そういう世界に私たちは生きてきた。
ちょっとでもキミ(本質)のことを考えたら、友達は少なくなるし、お金を稼ぐことだけに頑張れなくなるし、迷子になってしまう。マジョリティの大きな船を降りなくてはいけなくなる。心細い。。
そう、だからこそ、この船から降ろされないように頑張ろう!世界は「単純なんだよ!」さぁみんなで頑張ろう!世界は勧善懲悪で成り立ってるからね!と思わされてきた。
例えば、まず前提として「架空の敵を作る」とかね。
敵は何でもいいんです。最初は「野蛮人としてのネイティブ民族」、そのうち「架空のテロ国家」。「不況」「病気・疫病」「害虫」「不平等」。
目標「敵を倒すこと」
「戦うこと」
目標のために行われること=正義
アニメのアンパンマンってなんであんなに子供たちに人気があるのか、個人的には不思議でたまらなかったんです。
あの丸い顔がこども達に親近感を覚えさせる、とか諸説あるそうですが、、、、
ワタシ的には子供たちに2元論的世界観をセンセーショナルに見せてくれるから、だと思うんです。ワンネスにいた子供たちには、新鮮でたまらないのかなって、そのシンプルすぎる勧善懲悪の世界が。
この3次元世界を生きるのに、いいスターターキットのようなもので、色んな食べ物の名前も覚えられるし笑
でも真の世界は、もっと複雑で混沌としていて、善人ぶった人が、実は嫌なやつで歪んでいたり、貧しさはただの惨めさではなくて、そこに真の強さや美しさが垣間見れたり、金持ちなのに不幸な人がいっぱいいたり、どっちつかずの日和見菌みたいな存在がいっぱいの世界なのよ。
何が言いたいのかわからなくなってきた笑
善とか悪とか、成功とか失敗とかそういう単純な世界じゃないんだよってことですよね。
そういう意味でも、いわゆるマイノリティと言われる人たち、私たちみたいに自然農とか無肥料栽培とか自給自足とか目指しちゃってる変わった人たちはもちろん、LGBTの人たちもそうだし、サイキックな人たちもそうだし、そういう存在は「逸脱してる」とか「普通じゃない」とかではないんだよね。
もともとあって当然の価値観や存在だったの。
でもみんな、本当は、キミの部分(本質)ではそういう思いがあっても、マジョリティという大きな船から降りたくない、心細くなりたくないから、誤魔化したり、シロミ的な部分を頑張って、とりあえずその大きな船に乗ってたりしたんだけど、もうそれはやめましょうよ!と言いたい。強く言いたい。
だから、今でいったら普通に子ロナウィルスを怖がって、一生懸命、和句珍を打ったりしてる人たち、3次元的世界にどっぷり生きて、なんの疑いも持たない人たちって、ある意味羨ましく感じたりもする笑
ドラマに入りきっているからね。不謹慎かもしれませんが、いいなぁ楽しめて、みたいな気持ちもどこかある笑
2021年ももうすぐ終わる。いよいよ本質の時代がやってくる。
いろんな人たちが、本質にかえろうと言っている。
もしかしたら、私たちが生きている間はそんなに大きな変化はないかもしれない。
だけど大きなウネリは確実にきている。
あなたは、不安から大きな船に乗り続けるのか。本質を生きるために、船を降りるのか。その一歩がこども達が生きる世界をどう作るのかに関わってくる。
でもここでさらなる勘違いをしないで欲しいのが、自然農をやってるから、スピリチュアルなこと発信してるから本質的、と言いたいわけじゃないってこと。
その人がその人を生きる、ということが本質的なのであって、どうであるから、これをしてるから、というのは本当に同じシロミだから。
それは常にワタシは自分にも問い続けている。
それに何をしていても、「あぁこの人自分に本当に正直で嘘がないなぁ」って人が好き。アーティストさんとか本当に多いけど、何をしている人でもそういう人はいる。
私たちは多次元的に存在している。
宇宙エネルギーの影響も日々受けている。
私たちは決して勝つために生まれたのではない。
喜びも哀しみも味わい尽くし、愛を感じるために、ただそのためだけに生きている。
そしていつか、必ず死ぬ。必ず。死ぬのだ。
大大感謝ですm(_ _)m