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発達凹凸の息子と、母であるわたし ①誕生〜自主保育時代。「無条件の母の愛」は幻想です。

長男もりの発達のこと、
見て見ぬ振りをしてきたわけでは
決してないのですが。

というか、息子はもちろん、全て
私の目に映る事象は、
いつも自らの魂の成長のために
起こっていることであり、
相手を変える必要はまるでない、
と思っているし、
もちろん息子もずっとそのままでいい、
と思ってきたし、
これからもその気持ちは変わらないんだけど、
どうしたって揺さぶられる事案があり。

とてもいい機会なので、
ちょっと文章に書いてみようと思いました。

ここに書くことは、もちろん、
誰かを傷つけたり、
責める意図は全くなく、
あくまで、主観的なものであり、
自らの魂の成長のための記録
であることを、先に記します。


まず初めに、
前置きが長くなりますが、いわゆる
「発達障害」という言葉に出会ったのは、
長男を出産する3年ほど前でした。
20代は都内でライター業と
バイトを掛け持ちし、
結婚を前提に千葉県へ移り住み、
ライター業は続けつつ、ご縁があり、
成田空港の某航空会社支店長秘書の仕事を始めました。

航空会社に就職する
つもりがあったわけでもなく、
アルバイト的な感覚だったのですが、
内容は契約やら莫大な金額のお金
の話ばかりですし、
働いている人たちはプライドが
とても高く(感じ)、
すっかり心身ともに疲弊してしまい。。
そんなとき、空港内の保育園に通う
子供たちの団体を目にした時、
本当にそこだけがいつも
キラキラと光を放っているように見え、
「子供はいいなぁかわいいなぁ」と
ただ漠然と感じていました。

結局、1年で退社することになり、
とりあえず次の仕事を始めるまで
なんとなく「つなぎで」という軽い気持ちで、
とある学童保育所でアルバイトをしてみることにしたんです。
本当に軽い気持ちで。
3ヶ月くらい、
かわいい子供たちと触れ合って癒されようかな。
くらいの気持ちでした。

ところがそこで、子供たちの魅力に
すっかりハマってしまって。
もう夢中になってしまった。

それこそ全く触れたことの無い世界だったし、
子供相手の仕事をするなんて、人生設計で
考えたこともなかったことでしたが、
だからこそ、すごく新鮮で。

そして特に、「発達障害」と言われている
子供たちが多く在籍する学童保育で。
その子たちの光かがやく存在感に
すっかり魅了されてしまったんです。

なんて素敵な子たちなんだろうって。

そんなふうに思う私って、
やっぱりちょっとズレてるんでしょうね。。


その子たちは、やはりいつも衝動的で、
怒りを内包していて、落ち着きがなく、
喧嘩やトラブルをよく起こしていました。

でもほんとうに純粋で。

人一倍、感受性が強く、繊細であると感じました。

2年生だったK君はある時は怒りを抑えきれず、
部屋を飛び出し、傘で生垣の植物を殴りまくって、
葉っぱを撒き散らしていました。
でも私はその姿を「悪い」とは思えなかった。

怒りと共に泣き喚いて、感情を、
怒りと、悲しみを
純粋に表現していた。

後ろから抱きしめて止めたら、
小さな小さな心臓が、
とても早く打っていた。
その時の感触を、今でもよく覚えている。

私はよくわからず、
ただ切なくて泣けてしまった。


そんなことの繰り返しの毎日で。
癒されようかな、なんて考えが、
いかに甘かったか、、、笑

そのころの私はまだ、
スピリチュアル的なことにも
一切興味も関心もなかったけれど、
ただその発達障害と言われている子たちの、
光の強さと輝き
とにかく美しくて、好きで好きで堪らなくて。

彼らをもっと理解したい!!!!という
ただその気持ちだけで、
子供の発達の勉強もたくさんしたし、
講演会や勉強会にも出席し、
保育士の資格も取ったほどでした。

今思うと、彼らはいつも
「母」を強く求めていた。
父子家庭ではなく、もちろん母親がいたけれど、
いつも強く「母」を求めていた。

でも母たちは皆、生きることに必死で、
愛情が無いわけじゃないんだけど、
比較的クールだった。

熱心なある先生は
「〇〇君を、おうちで抱きしめてあげて下さい!」と
母の一人に涙ながらに
懇願していたけれど、
「あーハイハイ」って感じで、
「もうウンザリ」という気持ちも
見え隠れしていた。
その頃のわたしには、ただただ
不思議でたまらなかった。
こんな素敵な子たちなのに、
かわいくないのかな。。。
とすら思っていた。
もちろん、どこかで母たちを責めていた。
あなたたちが、
彼らを愛さないから、、、、、、、、と。

母になったことのなかった私は、
母たちの気持ちなんて、
微塵も理解できなかった。。

結局、3ヶ月のつもりが
3年近く在籍していた。
長男の妊娠を機に退職しましたが、
妊娠がわかった数週間後に、
そのうちの一人の男の子に
お腹をパンチされて、
とてもショックを受けてしまい。。

もちろんその時、彼はわたしが
妊娠していることは知らないし、
いつもの通り、
甘えてきたついでにジャれあう感じで
パンチしただけだったんだけど、
やはり子供を守らなくちゃ!
という母性本能が強く、
他の先生たちも「危ない」と言われ、
早々に退職した。

だから。
私はどこかで「発達障害」と言われる
子供たちへ憧れのような
不思議な気持ちも持っていた。

もちろん、それは投影なんですよね、自分の。
私はずっと子供時代から
「求められる自分」を演じ続けてきた。
(日本人ほぼ全員の国民病だけど)
怒りや悲しみの感情を他人に見せてはいけない。
言われたことは必ず守る。
勉強もちゃんとやる。
みんなと仲良くする。
落ちこぼれにはなっちゃいけない。

その真逆を生きる子供たちが、
どこかでうらやましかった。
心から愛おしかった。
たとえ、その心の中が悲しみでいっぱいだったとしても。

そして待望の長男が誕生。
もうそれこそ目に入れても
痛くないほど溺愛した。

息子以外の全てのものに興味を失ったほど、
彼が、私の「全て」になった。

ただただかわいいだけの赤ちゃん時代が終わって、
動き出し、喋りだすと、いろんな気づきや
葛藤が生まれる。

ん??この子はちょっと普通じゃないかも

と最初に思った瞬間は、
たぶん彼が2歳になる前だったけど、
その時のこともよく覚えていて。

第一子あるあるだと思いますが、
とにかく写真を撮りまくっていて、
やはり初孫溺愛していた母に渡すために、
ちょこちょこ現像していて。
ある日、まだ数ヶ月の
赤ちゃん時代の写真が机の上にあって。

「ねー見て!もりが赤ちゃんだった頃の写真だよ!」

と彼に見せた。

「へーちっちゃいね。かわいいね」
なんていう反応を予想していたが、

彼は、片手で写真をパッと奪うようにしてチラッと見て、

「わかいな」

と言い捨てた。

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!

まさに口アングリ。なにも言えなかった、、、、笑

だって2歳になったかならないかの
本当の「おチビ」ですよ。
まさか、よもやまさか、そんな反応が来るとは
思わないじゃないですか、、、笑

とにかく、彼は言葉の習得が、
異常なまでに早かった。
2歳になる頃には、ペラペラ喋っていて、
「たどたどしい」ということは全然なく、
でしゅましゅ言葉や、幼児言葉もほとんどなく、
幼児にしては語彙力もハンパなかった。

そして、とにかく
大人のいうことを聞かなかった

生まれてくる前に、神様と

「おまえは、けっして。
大人の言うことを聞いちゃいけないよ」

と、約束でもしてきたのかーーーーー?!?!
とツッコミを入れたいほど。

彼はどこまでも自由だった。
誰にも、何ものにも制限されなかった。
ずっと彼であり続けた。

とにかく赤ちゃんの頃は彼を
溺愛していた義父も、
彼を叱らなくてはならない場面が
増えるにつけ、
叱らなくてはいけない事と
「やさしいおじいちゃん」だけで
いられなくなる現実に、
深く傷ついているように見えた。。

そんな義父は彼が4歳の時、
あっという間に他界してしまった。

もりは義父が大好きだった。
今でも、大好きだ。

彼は2歳から野外保育に入った。
彼は水を得た魚のごとく、
生き生きと毎日を過ごしていた。
彼の「ありのまま」を認めてくれる活動に、
わたしは満足していた。

でもそこでも、
みんながなるべく
「歩きやすい」道を行くのに、
彼だけが
グッチャグチャの泥道をあえて歩いたり、
雨の中、みんなで
カッパを来てお散歩してるのに、
カッパを着たまま、
一人だけ川に入っていって
ビショビショになっていたり、、、、、

?!?!?!?!?????!!!????!!!

な行動のオンパレード。

そして未就園時代が終わり、
年少の年から入った自主保育では、
あまりにも協調性がなく、空気を読まない彼は、
年長者たちに完全に疎まれ、
仲間外れにされたり、
時には石を投げつけられたりして。。。。。

樹を伝う雨を飲むもり4歳


わたしは本当に辛かった。
「子供たち同士の関わりには
大人は口を出さない」
というルールがあるから、石を投げられていても
誰も止めてくれないなんて。

悲しかった。

それでも彼は自分を曲げなかった。
誰にも迎合しなかった。
それに、誰も責めなかった。
卑屈にもならなかった。
ずっと同じ調子だった。

わたしがある時、いじめに見かねて
他の子を注意したら、
ちょっと悲しそうにしていたから、
「言って欲しくなかった?」と聞いたら、
うん。とだけ言っていた。

本当に強い子だと思った。

でも後から聞いたら、
その頃はずっと耳鳴りがしていた、
と言っていた。
チック症状もけっこう出ていた。


でもわかっている。
それは活動のせいじゃない。
きっとわたしが原因だった。


前にも書いているけれど、
そのころは二人目も生まれて、
わたしは心身ともにボロボロで、
ほとんど育児ノイローゼ状態。

息子を完全に受容できずに、
否定的にしか接することができなくて、
家では毎日彼を怒鳴ってばかりいた。

今になって言われちゃったんです。
「あのころのママは、好きじゃなかったよ」って。

そりゃそうですよね。
毎日なにをやっても怒られるんですから。

外ではどうにか、
彼のありのままの姿を受け入れようと
していたけれど、
一度家に帰れば、そんなの机上の空論だった。

理想と現実に、
わたしも容赦無く叩きのめされた。

他人の子たちには、
あんなに受容や理解の努力ができたのに、
我が子には全然、できなかった。。

そして彼は、とうとう
原因不明の病気になり、緊急入院。

その時、彼は全身全霊でわたしを、
「母」を求めてきた。
まだ4歳だったのに、
「重い」と言って
ほとんど抱っこしてあげなくなっていた彼は、
原因不明の菌に侵され、
足が腫れ上がって歩けなくて、
わたしにしがみついてきた。

ベッドで一緒に寝ていたら、
わたしへの抗議として
ベッドの上に泣きながら
立ちながら放尿した。

これほどまで彼は
わたしを求めていたんだと、愕然とした。

もう理想とかどうでもいい。
ただただ、彼がその謎の病に負けず、
元気になってくれたら。

それだけを祈った。

4日後、謎の病はひいて行った。
いまだに原因はわからず。

元の元気な男の子に戻った。
何事もなかったかのように。

そのころのわたしは、
母であることが
苦しくて苦しくてたまらなかった。


求められることも。

応えられないことも。


なにもかもが苦しかった。

「いいお母さん」
でいるために、
あまりにも頑張りすぎていたから。

なにもかも、思考優位だった。
すべてが空回りしていた。

そのことを機に、
わたしは自分の限界を認め、
がんばることを少しずつ
辞められるようになってから
少しずつ平常心を取り戻していった。

限界というのは、比較ではわからない
自分自身で、認めてあげるもんなんだ、
とその時、
生まれて初めて知った。

その頃のことは今でもとても辛く思う。

長男にも本当に悲しい思いを
させてしまった。

あの頃、よくいろんな人が
「もりはママが大好きだもんね」と言うけど、
わたしにはそうは思えなかった。

第2子が生まれて、
どうしても長男をかわいいと思えない時、
これじゃダメだ、どうにかしなきゃと
「あなたが大すき」
と言う絵本を読もうとしたけど、
読み始めようとしたら、瞬間に、
無言で本を投げつけられた。

「こんなもの!嘘つくんじゃねーよ!」と
口では言わなかったけど、
怒った目が、そう語っていた。

この子にはごまかしはきかないんだ、と
その時つくづく思った。

ある意味で、あの頃から、
わたしは彼を尊敬している。

わたしには無い、強さがある。
わたしには無い、優しさがある。
わたしには無い、忍耐力がある。
わたしには無い、愛がある。

「わたしの子供」
という感覚がどんどん薄れていって、
「一人の人」
としてたぶん、彼を
認識するようになったら、
彼のへんてこりんな所も、
理解不能なところも、
いろんなところが、
「息子への愛情」というより
「わたしとは違う、
一人の人への愛情・好意」が
どんどん芽生えてきた気がする。


無理してお母さんの愛を演じたり、
押し付けなくってもいいんだよ。
お母さんである以前に、
私たちは一人の人だし。


たとえ我が子だろうと、
嫌なところは嫌だし。
ある意味それを認めちゃうと、
嫌でもなんでも、
けっきょく思考以外のところでは、
子供たちを完全にうけいれているのが
母親なんだよね。

って今では思うのです。


「母の無条件の愛」、は幻想
です。

母の愛は「無意識」の愛。

無条件の愛は、
子供だけが与えられる。


そして彼を少しずつ
受け容れられるようになって
気づくんです。

受け容れがたい、と
思っていたところは、全部
わたしも持っていて、
わたしが自分に
許していなかった部分なんだと。

そして、最初は無意識の愛
だった、子供への愛も、
子供から
無条件の愛を、
これでもか
これでもかと
与えられて、
与えられて、
与えられて。

母はいつの間にか、
無条件の愛を
与えられるように
なるんじゃないかなぁって。

すべて子供たちからもらったもの。。
なんだよね。

だから
母親なんだから
子供に無条件の愛を与えて
当然でしょ!
って突き放さないでください。

子供の問題は、母も一緒に学び中なんです。

みんな、ただ懸命に、
学んでいる最中なんです。

はたからみたら、
怠けているように見えても、
ほんの少しずつ、
みんな成長してるんです。

私も母親になる前は
平気で母たちに批判的に
なれてたから怖いなぁって思うから。


と、また長くなってしまったー、、、、笑

当初書き始めた理由は他にあるのに、
違う所に着地した感、、、

でも流れに任せますのですみません。。

続きは②へ書かせていただきます。。。。


長文お付き合いありがとうございます。。




大大感謝ですm(_ _)m