心の傷痕

「人は、皮膚の病理学をいいかげんに適用して、心の傷痕いえたりなどと書くが、個人の生活にそういう事実があるはずがない。傷口は開いたままなのだ。ときには針の刺し傷程度に縮まることはあっても、傷口はやはり傷口なのだ」
――スコット・フィッツジェラルド『夜はやさし』


高校生の時に使っていたノートを、久しぶりに開いてみると、こんな一節がメモしてありました。
あれ、私『夜はやさし』ぜんぶ読んでいたんだっけ。
たしか、苦しくて切なくて、やるせないような……そんな内容だったような気がするのですが……どうも思い出せません。


スコット・フィッツジェラルドは、おもに1920年代に活躍したアメリカの小説家です(ちょうど100年くらい前です)。
特に、1925年の『華麗なるギャツビー』(グレート・ギャツビー)という長編小説が有名で、これは、1974年にはロバート・レッドフォード主演、2013年にはレオナルド・ディカプリオ主演で映画化もされています。また、村上春樹さんが最も影響を受けた作品のひとつとのことで、『ノルウェイの森』の主人公の愛読書でもあります。

“狂騒の20年代”とも呼ばれる、第一次世界大戦後の華やかな時代に、その象徴として活躍したフィッツジェラルドですが、『華麗なるギャツビー』以降は、世界恐慌が起こったり妻が精神を病んだりと苦難が重なります。その頃は長編大作に手をつける余裕もなく、生計を立てるために短編小説を多く手がけていました。しかし、1930年代に入り、再び長編にとりかかります。

それが、『夜はやさし』(1934年)です。
改めてあらすじを調べてみたところ、「精神科医ディックと、彼の患者であり、のちに妻となるニコルの、ゆるやかな破滅の物語」とのこと。自伝的な部分もあるように思います。


「人は、皮膚の病理学をいいかげんに適用して、心の傷痕いえたりなどと書くが、個人の生活にそういう事実があるはずがない。傷口は開いたままなのだ」

――たしかに、心の傷痕って、消えないものです。

「ときには針の刺し傷程度に縮まることはあっても、傷口はやはり傷口なのだ」

――そう。痛みを伴う場合も、伴わない場合も、傷口はやはり傷口なのです。完全に忘れることなど、できません。そして、その傷は、決して他人からは見えないものなのです。


『夜はやさし』、もう一度読んでみようかな。


それにしても、なぜ、高校生の私はあの一節を書き留めたのでしょう。
もちろん、忘れたくなくて書いたのでしょうけれど。
本の内容と同じくらい、思い出せません。


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