映画『燃ゆる女の肖像』を美術史から読み解く

昨年末に観た映画『燃ゆる女の肖像』は、脚本、役者、音楽、カメラワーク、色遣い……あらゆる点で大変気に入り、私の中での2020年ベスト1位でした。noteでも感想を書かれている方が多いです。

この映画は色んな視点から語ることが出来るのですが、私としては、美術史における重要テーマがたくさん織り込まれているなと思ったので、今回はあえて、以下の3点から読んでいきます。

①美術史から消されてきた女性画家
②女性画家の画題の制限
③「見る(男性)―見られる(女性)」という立場

※物語の筋に関わることについては、あえて触れないように書いていますが、台詞などを一部引用しています。


あらすじ

物語の舞台は、18世紀後半、フランスのブルターニュ地方。画家のマリアンヌは、とある貴婦人から、娘エロイーズの見合いのための肖像画を依頼されます。しかし、エロイーズ自身は結婚を拒んでいました。マリアンヌは職業を隠して近づき、密かに肖像画を完成させますが、真実を知ったエロイーズから絵の出来栄えを否定されます。描き直すことを決めたマリアンヌに、エロイーズはモデルになると申し出ます。キャンバスをはさんで見つめ合い、海辺を共に散策し、音楽や文学について語り合ううちに、ふたりは恋に落ちるのですが――



①美術史から消されてきた女性画家

映画中で、画家のマリアンヌは、自分の描いた絵を父親の名で出品しています。なので、彼女自身の名は後世に残りません
父親の作品との混同は、この映画に限ったことではなく、19世紀以前の女性芸術家にはよくありました。昔は、絵は工房制作だったため、作者の特定が困難だということも原因のひとつですし、“女性の作品であるはずがない”という人々の思い込みもあったことでしょう。概して、女性芸術家の名前は歴史に残りにくいのです。

また、男性芸術家に対して、女性芸術家が少なかったことの理由は、「女性は生まれつき芸術的才能が欠けている」ということではありません。そもそも、女性は公的に美術教育を受けられなかったのです。(一部の美術学校が女性の入学を許可するようになったのは、19世紀半ばになってから。)美術学校に入れない女性たちは、個人アトリエに通うか、マリアンヌのように芸術家である父親に学ぶしかありませんでした。


②女性画家の画題の制限

映画中で、エロイーズが「男性のヌードも描くのですか」と尋ねると、マリアンヌは「描けません。女は画題(絵のテーマ)が限られますから」と答えます。

そうなのです。女性が男性のヌードを描くことは禁止されていました(一方、男性が女性を描くのは問題なし)。マリアンヌが生きた時代の100年後、印象派の時代になっても、女性画家は画題に制約がありました

画題を探そうにも、男性のように、街中をひとりで自由に散策することはできませんでした。例えば、印象派の男性画家エドガー・ドガは、稽古場のバレリーナ、カフェに集う人々、街中の労働者たちを描いていますが、そういう場所に自由に出入りできるのは、男性の特権。女性も出入りが許された公的な場所は、公園、劇場など、ブルジョワ階級のレクリエーションの場のみです。

なので、基本的には、「家庭」という私的な場所を描くしかありませんでした。家族(特に“母と子”という組み合わせ)、居間や寝室、庭やバルコニー、植物……などなど。女性画家が、こういう家庭空間を多く描くと、それがまたさらに「女性らしくて素敵!」と評価されるものですが、果たして彼女たちは、その「女性らしい」という評価を喜んだのでしょうか。実際は、「女性らしい」とされる題材しか選べなかっただけでは?

興味がある方は、印象派の女性画家メアリー・カサット、ベルト・モリゾの作品を画像検索してみてください。


③「見る(男性)―見られる(女性)」という立場

「見る(男性)―見られる(女性)」という立場の違いを、印象派のメアリー・カサット(女性)とオーギュスト・ルノワール(男性)の絵を比べて見ていきます。

■女性目線
カサット《特別席》1881-82年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー

劇場は、社交界。2人は社交界デビューでしょうか。笑顔はなく、緊張した様子です。扇子で顔を隠し、「見られる」ことから身を守ろうとしています。扇子は、ある時は女性らしさを引き立て、ある時は女性の身を守る小道具です。

画像1

(パブリックドメインQ:著作権フリー画像素材集より)


■男性目線
ルノワール《劇場にて(初めての外出)》1876-77年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー

副題に「初めての外出」とあるように、社交界デビューを描いた作品です。しかし、彼女の横顔は何ともあどけなく、緊張感は見られません。自分が「見られる」可能性があることに気づいていないようです。無防備といってもいいかもしれません。

画像2

(2020〜2021年に東京・大阪で開催された
『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』のチラシより)


次も、劇場でのひとコマです。

■女性目線
メアリー・カサット《オペラ座の黒衣の女(オペラ座にて)》1877-78年、ボストン美術館

女性が、客席から身を乗り出し、オペラグラスで熱心に舞台を見つめています。しかし、よく見ると画面の奥に、彼女をオペラグラスで盗み見る男性の姿があり、思わずぎょっとします。「見る」という主体的な行動を取っても、女性は常に「見られる」ことから抜け出せない様子を描いています。

画像3

(Wikipediaパブリックドメインより)


■男性目線
ルノワール《桟敷席》1874年、ロンドン、コートルード美術館

劇場の座席に座る男女。2人の行動は対照的です。右の男性は、オペラグラスで劇場内を観察しています。一方女性は、右手にオペラグラスを持ってはいますが、使いません。「見る」なんて女性として“はしたない”行為はしない、とでもいう感じです。

画像4

(Wikipediaパブリックドメインより)


最後に

美術館で展示されている絵は、“価値ある”作品ですから、その絵に描かれていることは“普遍の価値”なのだと、鑑賞者は認識してしまいます。でも、誰が美術作品の価値を決め、誰が美術史を作り、誰が美術史を語ってきたのでしょう

それは、昔から社会の支配層にいた、「西洋人で、白人で、キリスト教徒で、中産階級(エリート)で、異性愛主義の、男性」です。彼らが作る美術史の文脈にそぐわない芸術家たちは、美術史からはじかれ、いなかったことにされました。そのため、いわゆる一般的な教科書で学ぶ美術史には、明らかに偏りがあります。

『燃ゆる女の肖像』は、そうやって美術史から消されてしまった芸術家たちについて、考えるきっかけをくれる映画でもありました。


【参考資料】
シモーヌ編集部『シモーヌ(Les Simones)VOL.2 特集:メアリー・カサット』現代書館、2020.5

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