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#7病気との闘いに疲れた人へ。医師の言葉に救われた話

完治や治療が難しい病気に対する
心の持ち方を知る


あるインタビュー記事を読んだ時、「病気との闘いに疲れて死にたくなるのは私だけじゃないんだ。変なことじゃないんだ。」と涙が溢れました。

私は月経前になると心身の不調が強くなるPMS(月経前症候群)・PMDD(月経前不快気分障害)の症状が出やすいタイプの人間です。PMSとPMDDでは完治という概念ではなく、どう症状を緩和できるか、どう向き合うかが重要になります。

自分の体に合った薬に出会う前は、毎月の半分以上がホルモンに操られたように別人になり、「これ、あと何年続くの?…もう解放されたい」と本当に途方に暮れていました。

しかし、記事の言葉のお陰で気持ちがフワッと楽になり、心から救われたんです。インタビューから印象に残った部分を引用し、自分の胸に刺さった部分を太字にしています。(引用先は一番下に掲載)きっと、沢山の方が、健康第一という考えに無意識に縛られていたことにハッとさせられるのではないでしょうか。

1.「死にたい」「安楽死をしたい」という声に

人は全て時々「死にたい」って言うんですね。
それは、治らない患者さんだけじゃないんです。「死にたい」と思ったり、「死にたい」って言ったりするのは、むしろ、本気で助けを求め、しっかりと受けとめてくれる人を探しているからなんです。

人は、人生で必ず治らない病気にいつかはなるんですよ。「人間は生まれてきたら、1つだけ決まっている」って言われますよね。何でしょうか。多くの人は「死です」と答えるんですけど、本当は、その前に「治らない状態になる。治らない病気になる」ということが決まっているのです。

2.「健康」を問い直す

社会の空気感や価値観の中に「重たい病気になったら死にたくなるだろう」という考え方がまん延していると感じます。健康第一主義、健康礼賛、そういうスローガンが一番大きく影響しています。例えばWHOは、健康を「完全に良い状態(Complete Well-Being)」として規定しています。でも実際、完全に良い状態の人なんて存在しませんよね。ちょっと頭痛があったり、慢性頭痛があったり、腰痛があったり、めまい感があったり、アレルギーがあったりで、どんな人も決して完全に良い状態ではないですよね。それでも人は、治らないと、とても落ち込み「死にたい」と言ってしまうことがあります。本来、健康で生きてる人はだれもいないにもかかわらずです。

しかし、スローガンとしては「健康第一」、「健康増進」って言いますよね。そうすると、治らない症状がおき難病になると、まず、本人は症状からではなく、言葉で落ち込んでしまいます。「自分はもはや、絶対、健康になれない。これで人生終わりだ」、今後の人生は「生きるに値しない」、「これでは、社会から、人から捨てられるんじゃないか」と思ってしまうわけです。その結果、自分自身をも捨ててしまう気持ちに悩むことになります。

症状を乗り越えていく能力さえあれば、症状が完全にゼロにならなくても、健康になったというように考えられるのです。「健康状態とは“ability to adapt”(適応する能力)がある状態なのだ」

ですから、人がいろんな問題を抱え、その対処能力である“ability to adapt”が不十分になった時が病気であり、支援によりその能力が回復したら健康なんだと。つまり、私たちが、難病患者さんに行っている難病医療とは、この“ability to adapt”の回復の支援なんです。

人生が成り立つように、それを乗り越えられるような能力、またはそのような考え方、または代替機能を見つけてもらえるように支援すればいいのです。それは、症状コントロール技術やいろいろな支援技術だったり、治療薬だったり、社会や生活の支援だったりするわけです。治らない症状を完全に治そうと思ったり、もし治らない人生なら、生きる意味はないと思ったりして、人生を空回りさせる必要はないのです。

3.絶望すると症状も悪化してしまう

患者さんは皆同じで、希望を失い、絶望する(自分を無価値なものとしてみてしまう)と、つまり、自分の生きていく物語──我々は「ナラティブ」と呼ぶんですけども──を失ってしまうと、病気そのもの以上に病気は実際に進んでしまうんです。


4.誰もがいつか、治らない病気になる

私たちは生まれてくると、ある一定期間後、当然死ぬわけですけど、全員が死ぬわけですけど。その前に、実は全員が治らない病気になるんだと。実は自分の目の前にいる治らない病気の人も、自分も実は一緒なんだっていうことが、あるときぱっとわかったんですね。

人は、すごい偶然によって生まれてきてますから、どんな病気があっても、どんな症状があっても、全然、自ら死ぬ必要ないと、僕は思ってるんですね。

自ら死ぬ、死を選ぶ必要はないと。何回も言いますけれども、死は必ず、自分の意図とは結果的に異なるように、訪れてしまいますけれども、自ら死を計画し決めて行く必要はない、無理だと。毎日症状をコントロールして、楽しく、問題点を解決しようとして、努力し工夫していく毎日症状をコントロールして、楽しく、問題点を解決しようとして、努力し工夫していく。そうすると患者さんは必ず感じます。「あっ、自分は変わったんだな。チェンジしたんだな」と。気持ちはすごくよくなります。自己決定により計画された死ではなく、永遠につながる道が見えるようになります。そのようなものをつないでいけば、「つらい人生だったら死んだほうがいいんじゃないか」とか、「治らない病気だったら、安楽死を導くこともいいんじゃないか」なんていうふうに、私たちが考えることもばからしくなると思います。


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