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東北地方の熊野神社と熊野信仰

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名取熊野三社や名取周辺の歴史・伝説の考察。羽黒から熊野へ、旭から名取老女へ、日本海から太平洋を繋ぐ。
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#奥州藤原氏

福島市茂庭の熊野神社【信夫佐藤氏兄弟の母:乙和御前】

福島市茂庭の熊野神社【信夫佐藤氏兄弟の母:乙和御前】

福島市の飯坂温泉より西側に茂庭地区があり、信夫郡の領土を得た佐藤基治の妻、乙和の方を頼って名草の鈴木氏(藤白鈴木氏?)が建立した神社がある。

※茂庭は、伊達藩の家臣、鬼庭氏が領土を得ている。
(豊臣秀吉の命で名を茂庭に変えている)

熊野神社の由来紀州名草の村長鈴木塞庫翁が紀伊国熊野神社に最も深い家系をもつ飯坂大鳥城々主佐藤庄司基治の妻、佐藤継信の母乙和の方を頼って直接熊野から
この茂庭秋庭の地

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【伝説】前田庄の熊野信仰と天神伝説

【伝説】前田庄の熊野信仰と天神伝説

名取老女の伝説にはいくつかあります。

・名取熊野堂縁起(梛の葉に書かれた和歌)
・烏宮の伝説(ヤタガラスと守家)
・前田庄(足が不自由な熊野信者)
・名取の居腰次郎吉迚(いこしじろうきちとて)老尉(ろうじょう)ともいう

前田の場所は、現在の太白区中田の地区です。

前田の踏切を越えたところに塚があり、
九州から配流された中津川義氏の伝説があります。

仙台市太白区中田、名取一帯は(名取老女の下

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高舘山を歩く②本丸から那智神社へ

高舘山を歩く②本丸から那智神社へ

名取の地理
山路には岩盤が隆起した地層がみられます。

紀伊半島は、3つの地質体からなる大地が、プレートの沈み込みの影響を受け、黒潮に突き出す形で隆起をした地域です。

そのため、険しい山と大海原が隣り合うという位置関係にあり、大きな岩盤のうえに紀州熊野信仰が広まった理由のひつとに、地質が大きく関係しています。※南紀熊野ジオパークより

名取の高館層は、流紋岩・安山岩・玄武岩の溶岩及び火山角礫岩・

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高舘山を歩く①名取の板碑など

高舘山を歩く①名取の板碑など

麓の板碑熊野三社のひとつ、熊野那智神社が鎮座する山を
「高舘山(たかだてやま)」と言います。

数年前になるのですが、
研究会で散策したコースをご紹介します。

ガイドは、名取熊野古道逍遙会の小野さん。

新しい鳥居になった熊野那智神社遥拝所からスタート。
ここから高舘山の全容が見えます。

小野さんいわく「前方後方墳」ではないか、と。
であれば、県内では最古の古墳になる!?

高舘山は、標高20

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