ちょっとした優しさに

私事ながら、最近右足首を捻り、松葉杖生活となった。案外酷い捻りようで、3週間以上たった今でも松葉杖生活を余儀なくされている。やはり松葉杖でいつも通りの学校生活を送れるはずもない。けれども、私は昔から人を頼ること、お願いする事が苦手で、おまけに自己肯定感が低いため、人に迷惑だと思われたくないという気持ちで溢れかえっていた。捻挫したその日の夜なんて、寝るにも寝れなかった。

そんな私が、3週間以上経った今でもどうにか楽しく学校生活を送れてるのは、副担任である英語の先生が言ってくれた些細な言葉のおかげだ。

朝一番で学校に行き、誰もいないクラスで、することも無いからと勉強していた私に

「お、茄子さん!足大丈夫かい!?」

と話しかけてくれた英語の先生。

「茄子さんはいつも頑張ってて、周りに優しすぎるから、せめて今日くらいは迷惑かけまくりなさい!誰も何も言わないから!盛大に痛がりなさい!」

ゆっくりでいいんだからねと、さりげなく教室の電気をつけて、そう言って先生は相変わらず元気いっぱいな笑顔で颯爽とクラスから出ていった。

確かに。と何となく自分でも思った。私も、今までそこそこ人に優しく生きてきた。たまには盛大に迷惑をかけたっていいか。恩はいつか返せばいいんだし。

そう思うと何だか不安も無くなって、思い切って色んな事を周りに頼んだ。いや、意外と皆優しくて、頼むよりも前に「持ってくよ」とプリントを持っていってくれた後ろの席の子に、「もー、私が片付けてやるって」と給食の食器を片付けてくれた友人。「俺に任せとけ!1000円な」と言いながら机を下げてくれた隣の席の子。そんな、色んな優しさに触れた。

その英語の先生にも大変お世話になって、体育館での臨時集会の時に「待ってて!そのまま!椅子持ってくるから!」と椅子を持ってきてくれたり、椅子を持っての移動教室での帰りに「いいよいいよ俺が持つよ!」と椅子を持ってくれ、足早に軽々と椅子を持ちながら先に歩いていって、さりげなくエレベーターのボタンを押していってくれたりと、本当にお世話になっている。

3週間も経った今でも、皆のさりげない優しさに触れながら生きている。まぁやっぱりそんな私を不服に思う人もいて、ちょっとした嫌な事をネットに書かれたけれど、その人にも迷惑をかけたし、それはいつか恩返ししていきたいなと思う。

「まだ治らないんだね。捻挫酷かったんだねぇ。でも変に歩いたら癖になるからね。ゆっくりでいいんだよ。ゆっくりしな」

とつい最近、英語の先生が言ってくれた。「俺も昔足骨折して手術したから。未だに傷跡あるし、寒いとたまに痛いし」と先生はスーツのズボンを捲し上げて手術の跡を見せた。何だかやはり痛々しかった。けれどもそんな経験があるから、優しくしてくれるのだろうなと思う。きっと先生も支えられ、その支えのバトンを私にも渡してくれたのだろう。勝手な想像にしかすぎないが、そう思った。そして同時に、尊敬の念が生まれた。私も優しくされた分、誰かにその優しさを返してあげたいなと、常々思う。


#やさしさにふれて

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