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年老いていく母を、直視できるかどうか〜新年記事2022

これを固定記事にする心意気で執筆している。

元々は、年老いた両親の介護日記だった。
それについては、2021年11月に父が他界したことで、「両親の介護日記」と称するのが相応しくなくなったなあと感じ、固定記事を差し替える必要性を感じていたところだ。

🟪以前の固定記事

これはこれで、2年ほど前にコロナ禍が起きて、家にいる時間が増えたことと、既に10年ほど続けていた両親の見守りではあったがどうもこの頃から父親の様子がおかしいと感じて、オフラインでは途切れがちな介護日記を、知ったばかりのnoteという媒体を通して記録しようとした心意気と、介護の始まりのきっかけがよく書けている気がするので、そのまま置いておく。

🟪目次

この日記は、写真だけの記事、Amazonアソシエイトの記事など、介護日記以外の記事も少なくないので、介護日記に関しては目次を作っている。
ただ、介護に携わったことのある方ならわかると思うが、「日常」を記録しているために、多少見やすいようにしようと思っても中々綺麗には整理しきれていない。
それでもある程度、分類しているつもりなので、なんとなく日記の雰囲気は掴めるのではないかと思う。(なお、最近のものはまだ載せられていないものもある)

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さて。

やや説明じみたが、今後。

この日記は父に先立たれ、一人暮らしとなった母の介護日記となる。

単純に母と同居をしてあげればいいじゃないと言い出す人はいるが(誤解しないでほしいが、決して今現在或いは過去同居で介護をしてきた方々についてどうこう言う話ではない)、私たち夫婦は、自分たちとの生活のバランスを鑑み、最期まで母と同居という選択肢を取るのは無理だと認識している。

介護というもの

なるべく虚飾もなく、さりとて、必要以上の悲嘆もなしに、個人情報を抜いて、今後、父を亡くして恐ろしいほどの速度で認知症が進行していっている母の様子を記録していくつもりだ。

これは、自分のためでもあり、ほんのわずかでも、今まで介護で苦労した経験のある方、或いはいま苦労している方、現在は全くそんなことは考えていないし自分には関係ないと思っている全ての方にとって、ほんのわずか経験のお裾分けになればと思って書いている。

介護から目を背けても、誰しもが年老い、ほとんどの場合、いつか人の手を借りなければならなくなることがほとんどだ。

自分の親が、「老いる」ということ。

それにどう向き合っていくか、年も改まったことだし、今後も考えていきたいと思っている。


投げ銭歓迎。頂けたら、心と胃袋の肥やしにします。 具体的には酒肴、本と音楽🎷。 でもおそらく、まずは、心意気をほかの書き手さんにも分けるでしょう。 しかし、投げ銭もいいけれど、読んで気が向いたらスキを押しておいてほしい。