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👼父が他界した。 11/20(1/2)

この日(11/20)は、午前10時30分に、ケーブルテレビの営業と実家で契約変更について話す予定だった。

実家に着いて、そろそろ営業が来るかと言う午前10時32分、私のスマホが鳴り響いた。

病院である。

父の心臓がいよいよ怪しくなってきたと言って、ご家族の方は何時に来れますか、と聞かれた。

すぐ行きますと答えたいところだが、母が認知症なので身支度に時間がかかるため出来次第行きますと返答する。遅くとも午前中には行くと答えて電話を切る。

母は書斎にいたので(日当たりがいいので、掃除してからよくそこにいる)、呼び止め、
「お父さんが危ないらしいから、すぐ病院に行こう。」
と知らせる。

母は、ヒュッと息を止めて身をすくめた。

動揺してパニックになりそうだったので、
「落ち着いて!
 今から出かけるけん、用意し!
 戸締りは見るけん、上着だけ着てきて!」
と声を掛ける。

何度か同じことを言って、母が「私はなんか持っていくもんがあるやろうか。」と言って動き始めたので、上着といつものハンドバックだけでいいと言う。まあ、それでも母の用意に30分かかった。

母に用意するよう声を掛けた後、こちらは父の保険証、入院の際の預かり金の預かり証を用意し、手持ちに自分の身分証明や印鑑などがあるか確認する。

ケーブルテレビの営業に電話しようとしたら、ちょうどその時に玄関のインターホンが鳴る。
開けると果たしてケーブルテレビの営業だった。

「すみませんが、父が危ないんで、今日は帰ってもらってもいいですか。
今日、次回の予定を決めておきたいんですが。」
と12/6を提示した。

11/20からの間が空いての12/6に、営業は「12/6ですか?」と不審な顔をしていたが、
「いや、多分死ぬんで。」
と言ったら、ハッとした顔をしていた。
葬儀や後片付けまでを視野に入れての日程調整である。

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結局、母が出発できたのは午前11時を回ってのことだったが、病院の駐車場は満杯だった。

近隣のコインパーキングに停め、病院に向かう。

病院では、循環器科の担当医のところに案内され、思わせぶりな話し口から始まったが要点は
先ほど心臓が止まりました。」
だった。

その後HCUに通される。

死に顔は安らかだった。

母は、しきりに
「85歳まで生きたけん、もういい。
お父さんも苦労して頑張ったとよ。お父さんは立派やった、子供を二人も立派に育て上げて学費も出してやって、立派に頑張った。」
と言っていた。

正直、父に育て上げられた覚えは兄も私もないし、兄の大学の学費やら、私の全ての学費やらは母が出したので、父はさほど出していない。
だが、この記憶の改竄は母にとっては幸福なことなのだと思う。

父の死に顔は、のんびりといびきをかいて昼寝している時の顔と同じだった。
口が開いていたからかもしれん。

母は、それほど長い時間でもなく、「もういいです」と言って部屋を出たが、看護師に「まだ大丈夫ですよ」と言われた時「いいんです、生き返るわけじゃなし」と言っていた。

看護師に案内されて待合に戻るが、事務は待ったなしである。

会計。

必要なのは保険証と、前金の預かり証である。
両方用意していたので、五万から二万いくら払って、半額くらいの現金が戻ってきた。

死亡診断書の受け取り。

これは看護師から受け取った。
内容を確認する。
直接の死因は多臓器不全。
死亡時刻は午前10時30分。

私たちが病院に着いた時どころか、実家を出発した時には死亡していたんだなとちょっと思った。

次に、遺体の引き取り。

それから、看護師から遺体を病院から出してもらわなければならないが、葬儀屋さんにあてはありますかと聞かれる。
それに対しては、すでに互助会に入会して契約している葬儀社があるので、そこに電話する予定であることを伝える。

看護師は、「あ、もうあるんですね。」とちょっとホッとした様子で、「また聞きに来ます」と言って一旦立ち去った。

電話連絡

(1)葬儀屋
 
父死亡の報と、遺体の引き取りを頼む。
 どうも他にもあったようで、霊柩車の手配が午後3時から3時半の間になると言われる。

※兄他、近親者連絡もここでしていた。

そこまで電話したところで、看護師が戻ってくる。
遺体の引き取りが午後3時以降だと言うと、ちょっと意外そうな顔で「結構時間がありますね。」と言う。
いずれにせよ、母に食事をさせてから戻ってくる予定だと伝え、一旦外に出る。

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病院の向かいのファミレスで食事をしてから(母が頼んだのはミニうどん)、病院に戻る。

それでもまだ1時間以上あったので今できることをする。

再度、電話連絡

(2)旅行予定だったホテル
 ……
そう、リゾートホテル。
 11/23が結婚記念日だったので、地元のリゾートホテルに一泊の予約を入れていたのをキャンセル。
 ホテルにも申し訳ないが、いつも家族の記念日を潰す、うちの父はつくづく間の悪い男だ。

(3)介護施設
 父が入所していた介護施設に連絡を入れる。
 結局、実質二ヶ月いなかった。
 非常にお世話になったのだが、今日は荷物を引き上げたり書類を書きに行ったりする暇がないので、葬儀後に再度連絡すると伝える。

(4)ケアマネージャー
 母は11/22(月)にデイサービスの予定を入れていたが、この時点の予想で、翌日通夜、翌々日葬儀なら、22日は葬儀当日だ。
 無理だ。
 というわけで、ケアマネージャーに連絡を入れる。
 ただ、この日が土曜日で、デイサービスが月曜日の朝8時にはもう施設を出発するために、連絡が間に合わないかもしれないが、とにかく今からファックスを流して連絡することにしておくと言われる。万が一ファックスを見ずに、月曜日に迎えに来たら乗らないようにと言うことで調整を図る。

(5)母の友人
これらの連絡の間、母は待合室の椅子で俯いていたが、母の友達の渡鳥(仮名)さんにも母親から電話するように言っておく。
母親がまた電話の掛け方が分からなくなっていたのだが、母のスマホを起動させてみたらちょうど着信履歴だったので、そのまま渡鳥さんにかけさせる。父が死亡したので22日のデイサービスは中止だと言うことを伝えている途中から、母は友人相手に堰を切ったように話し始めた。まあ、友達に話を聞いてもらって気晴らしになったのなら良かったのではないかと思う。

霊柩車到着

午後3時になって、葬儀屋が病院に着いた。

父は病院の霊安室に安置されており、遺体を運び出そうとしたところで、私のスマホが暴れん坊将軍の着信音でガンガン鳴り出したのは痛恨の極み。
ちなみに相手は配偶者で、駆けつけてくる予定と言っていたが、病院からはもう出るので、斎場の方へ向かうように伝える。

霊柩車の運転手からは死亡診断書の提示を求められる。
なんでもその証明書を持っていないと遺体が運べないそうで、携行を義務付けられているそうだ。
他の荷物は先に車に積みに行っていたが、死亡診断書はそんなこともあろうかと携行していたので、運転手に託す。

同行できるのは一名だけとのことなので、霊柩車には母を乗せる。

母子別行動で、こちらは自分の車で斎場に向かうことにした。

(続く)

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