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ニセコ に住む人々 #07 画家の徳丸滋先生 - いつからでも、いつまででも

"この記事は「ニセコ に住む人々」シリーズの第7回目です。
これまでの記事はこちらからどうぞ↓

#01 プロ・スノーボーダー Eさん - 幸せの在り方は人それぞれ
#02 不動産会社 Tさん - 陳腐な同情なんていらなかった
#03  "おとなりさん" - りんごケーキ2切れを6人で食べる
#04 整骨院院長 Dさん - 何歳になっても、挑戦し続ける 
#05 Yさん - オトナの秘密基地で産声をあげた、1人のイラストレーター
#06 石油の小西さん - 固定概念をぶち壊す、バター飴

——奈津子(Nashyの本名)さん メッセージありがとうございます。
午前中はギャラリーにいます。どうぞおいで下さい。
——

私は基本的に土日を休みとしているため、このメッセージを受け取った瞬間に「週末よ早く来い」と、そんな気持ちでいっぱいになった。

ニセコ の画家といえば、徳丸(とくまる)先生だ。ホームページで先生の存在を知り、先生の作品たちが大好きで、ギャラリーを訪れたいと、半ばファンレターともいえるメールを一報入れていたのだった。

羊蹄山をのぞむ、STギャラリー

先生のアトリエ「STギャラリー」はニセコ の中心地に位置している。羊蹄山をのぞむことができる、気持ちの良い場所だ。

ニセコ の名峰・羊蹄山(ようていざん)は富士山のような円錐形をしているので、その姿・形から「蝦夷富士(えぞふじ)」と呼ばれているのだが、見る位置によってその容姿はだいぶ違ってくる。

先生のアトリエから見えるそれは、きれいな三角形に、てっぺんのほうはちょっとギザギザしたとんがり頭だ。私の住んでいるところからも同じ顔が見えるため、馴染みのある羊蹄の一面だ。

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「羊蹄山」2021年、先生の作品ページより拝借

そんなアトリエから見える羊蹄山の表情を、写実的な巧みさがあるものから、愛嬌たっぷりなフォルムのものまで、四季とともに、彩りゆたかに描かれている。先生の絵の絵肌のザラザラ感も味わい深い。

ギャラリー内には、先生のよく描かれるモチーフの羊蹄山や木々、草花、鳥、カメムシ(!)などの絵画が壁の高いところまで飾られている。

STギャラリー内は、自然のなかにいるのと同じくらい自然を感じ、宝箱のような場所で、私にとってはどこの遊園地よりも楽しい場所であった。

徳丸先生のお人柄

徳丸先生は、1934年、北海道帯広生まれ・倶知安(ニセコ )在住の画家だ。今年で御年87歳で、現役で画家活動を続けていらっしゃる。

作品よりも年齢に焦点が当てられることは、ご本人は望んでいらっしゃらないかも分からないが、それでもやはり、人生の大先輩としてカッコ良いので、すこしばかり触れさせてほしい。

先生は、現在もなお絵を描きつづけていることだけではなく、スキーをも続けていらっしゃるのだから、脱帽だ。これまでのエッセイ(ニセコ に住む人々 #04 整骨院院長 Dさん - 何歳になっても、挑戦し続ける)(#05 Yさん - オトナの秘密基地で産声をあげた、1人のイラストレーター)にて、「何歳になっても私はスノーボードや、いろいろなことを諦めなくて良い」と気がついた旨を書いたのだが、先生がまたその記録を更新してくれた。

画家としてのその品格を漂わせていながらも、先生は謙虚で親しみやすい。親しみやすい人というのは、その人の世界に足を踏み入れることを許してくれる人が多いと私は感じるのだが、先生はそんな人だ。

さらに、彼のユーモアもそう思わせてくれるひとつの要因だろう。

先生のつけるマスクの端っこには、先生の大好きなモチーフのひとつで、大衆からは忌み嫌われがちな(そして私も例外ではない)「カメムシ」がプリントされているではないか。そして、「(カメムシがいたら)人が寄ってこないかと思ってね」と冗談を言う。本当に、このコロナ時代にぷっと脱力させてくれるようなユーモアを放ってくれるのが魅力的だ。

いつからでも遅くないということ

私は現在31歳だ。子どものころから絵を描くことや、物づくりが好きではあったが、自らのキャリア形成に右往左往しているうちに、大人になる頃にはそんなことはすっかり忘れ去っていた。

得意かどうかは別として、芸術がとても好きであったことを昨日のことのように突然に思い出し、何かに取り憑かれたかのように学びたくなり、急ぐように美大(通信)に入学したのは30歳になってからである。そのかたわらで、一抹の罪悪感を覚えながら、勇気を振り絞って「アーティスト」や「イラストレーター 」と名乗りはじめたのも30歳になってからだ。

今年のはじめ頃は、決して早くはないスタートに焦りを感じ、自分のせっかちな性格も相まって、「早く結果を残したい」などという思考がいつも頭の片隅にあったのだ。

でも、そんな考えが、「アーティスト」や「イラストレーター 」と名乗ってみて現実を見て、少しずつゆっくりと経験を積んでいくなかで、良い意味で覆されてきている。

今では、何をするにも、ある程度、熟するまでに時間はかかる、という視点を持つことができるようになった。そう思えてからは、描くことの楽しみを純粋に味わいながら発信ができるようになってきた。その一歩一歩を大事にしていったら、いつか景色が開けてくるものなのだろう。

そして徳丸先生を見ていると、幼き日から「絵を描くことが楽しくてたまらない」という思いと、その思いの分だけ昔も今も筆を離さずに、指の指紋が薄くなるほどに描き続けてきたからこそ、今があるのだということを感じさせられる。

”若い頃から指でも描いている。絵肌をなすりながら指先に伝わる微妙な感触を楽しんでいる。魂を塗り込めるという感覚は筆のそれより強く感じ、右人差し指の指紋は摩擦でうすくなっている。”
 徳丸滋著「ニセコ アンヌプリ の風 Ⅴ」P62、2020年

それに先生自身、美大などには行かれずに、銀行員としての会社員務めをしたのち、画家としての舵を切られている。画家と名乗る前から、コンテストなどにたくさん出展し賞を受賞されてきたり、展示を行ったりと精力的に絵を描いてこられてはいるが、銀行をお辞めになり、ご自身を「画家」と呼び出したのは下記記載の1978年であるのであれば、それは先生が44歳の時である。

子供の頃からの夢がやっと実現した。(1978)
 徳丸滋著「ニセコ アンヌプリ の風 Ⅴ」P20、2020年

——そして、2021年10月11日、今日ににいたるまで、ずっと、ずっと、ずっと描き続けて、自分の力で道を作ってこられた。——

いつからでも、いつまででも

先生を見ていると、何を始めるにも遅いなんてことはなく、そして続けるということは一見シンプルのことのようだが、とてつもなく大きな力に思えてくる。

何かを始めてみて熱中してしまった時、「もっと早く始めていれば...」なんて思うことは誰にでもあるのかもしれない。しかし、早く始めていたとて、辛くなってしまって、志し半ばで描くことをやめてしまう人は大勢いる。かといって、何かを一丁前に成すことができる人が(たとえば、上手に描ける人が)大成するかといったら、そう簡単な話ではないのだろう。なぜなら、どれだけ良い絵を描いたとしても、その人が描くことをやめてしまば、そこで終わってしまうのだから

つまり、今日明日で何かは為せないが、一丁前になるまであきらめず、工夫をしながら続けることが大事なのではないだろうか。

たとえ、人よりスタートが遅かったとしても。
たとえ、人よりまだまだ下手くそでも。

幸せのありか

先生は、このコロナのご時世になり、絵の取引をしている場所への観光客の減少により、創作活動において少しの影響はあったとはおっしゃっていた。

そして「別に売れなくてもいいんだけどね。」と微笑み、こう続けられた。

こうして毎日絵をかけることが、何より幸せなことです。

言葉に詰まった私は「いやあ、素晴らしいですね...」としか返せなかったが、「ああ、先生はきっと150歳くらいまで生きて、ずっと筆をふるっているのだろう」なんてことを、ひっそりと思い浮かべながら、その人をいつまででも突き動かしてしまう根っこの部分から出てくる言葉は、どうしてこうも、すっと胸に入ってきては、じんわりと胸を焦がすのだろう、などと考えていた。

先生との長いようで短い、短いようで長い、あっという間の約40分弱の時間は、2日経った今でも未だに微細で優しいうずきを与え続け、今日も私はその思いを消化しきれないでいる。

いや、消化するものではないのかもしれない。先生との出会いは、私の一部として吸収され、今後一生、私自身にも、そこから生まれる私の作品の中にも、影響を与えていくに違いない。

画家・徳丸滋(とくまるしげる)先生
ホームページ▶︎ https://www.stgalleryniseko.com/
ギャラリー所在地▶︎ ST-GALLERY 044-0081 北海道虻田郡倶知安町山田74
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本日のイラスト「徳さんと、カメムシのマスク」

P.S. ちなみにカメムシのことは、私の出身地の山形の田舎では「へくさむし」と呼んでいました。新潟の妙高に住む方は「へっぷり」と言っていたなあ...。他にも呼び名があるのかな?知っている方はコメント欄で教えてください!

Nashy(なっしー)

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