「死ななきゃ安い」という言葉が好きじゃない。
私は死ぬために生きてない。
仕事のために生きていないし、辛いことのために生きていない。
「死ななきゃ安い」なんて言葉をよく聞くけれど、今生きていて起こったことと死の苦しさ、辛さを比較するのは私は好きじゃない。
私にとって「死」はとても遠く、非日常であり、訪れるのは70〜80年後の遠い未来にあるものである。
そんなものと、今、目の前にある辛いことを比較することができなくて、いつもピンとこない。
なぜ、「死」と比較するのだろう。
みんなにとって、自分の「死」はそんなに身近な物なんだろうか。
「どうせ死ぬわけじゃないんだから」とか、「死ぬよりマシだからがんばれ」とか、不思議でならない。
そんなことになるなら私は自分の命や精神を大切にするためにまず逃げ出すと思う。
もちろん、比喩であることなんてわかりきっているが、そもそも「死」を比えで使うのが好きではないのだろう。
「死ななきゃ安い」という言葉には、「生きていることが前提ではないのか?」と思うし、
「どうせ死ぬわけじゃないんだから」という言葉には、「そりゃそうだろ」って冷めてしまう。
「死ぬよりマシだからがんばれ」と言われても、心も体も健やかに生きていたいのでそもそもピンとこない。
職場でも、学校でもよく聞く言葉ではあるので、世の中の人はそんなに疑問を持つことのないフレーズなのだろう。
ただ、『いのちだいじに』のコマンドを前提に、楽しいことのために人生を送っている私にとっては、聞くたびに少しモヤモヤとする言葉たちなのである。
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