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知識はいつも、厳しくも優しい。

先日、読了した「置かれた場所で咲きなさい」という本。
 
 
ベストセラーでよく知られている本だと思う。
ほんのタイトルを聞いたり、書店で見かけたことあるって人も多いのでは?

日本で暮らしていた時に、テレビからこの本のタイトルをよく耳にしていたことを、今でもしっかり頭に残っている。



 


出版された当時は、なんとも思わなかったけど。
1年ぐらい前に、ふと気になり始めて。
それでも読まずに、なぜかまた、1年寝かせて。笑


ようやくKindleで買って、読了したところ。
(海外生活者には、Kindleが神がかって見えるときがあります。大げさじゃなくて。)


 



 
読めば読むほど、マーカーを入れたいところばかりで。
文章やデータが全部黄色くなるんじゃないかと思った。笑
 
 


それでも、がっしりと心を鷲掴みされて、ちょっと泣きそうにもなった言葉は、「はじめに」の前置き部分にあった。
 

咲くということは
仕方がないと諦めるのではなく、
笑顔で生き
周囲の人々も幸せにすることなのです

置かれた場所で咲きなさい / 渡辺和子 著



今の環境に、かれこれ4年ほど暮らしているのだけれど。

海や緑に囲まれて。さらには4匹まで増えた犬にも文字通りに囲まれて。
とってもありがたい、恵まれた暮らしをしていることは嘘じゃない。


でも、物事には陰陽があって。
全部「良いこと、理想的なこと」ばかりを含んでいるとは限らない。


なので、ずっと。

自由に外出しづらい。
お隣さんが遠いから、コミュニケーションがない。


っていう、この環境下のネガティブポイントが引っかかっていたんだと思う。


変えられないから、仕方がない。って。
諦めて、ちょっと投げやりな時もあって。
そこからケンカを勃発させてしまったりもして。



明らかにあの時は、私は咲けていなかったなと、今振り返って思う。

「決めたんだし、ここで一生懸命やってみよう」という思いよりも、ひたすらマイナスを見て、空気を悪くしていたのだろうと思う。



しかしながら、【石の上にも三年】って、ほんとによく言ったもんで。

4年目の今となっては、この環境のメリット・デメリットの両方を、前よりは意識できるようになっている気がする。


それはきっと、そこに住み続けた経験を得たと同時に。
自分の経験を振り返る尺度になるようなものが、一気に自分の中で高まってきたからだと思う。
(過去3年の間に、タロットや占い、見えない世界のこと、ヨガ哲学の学び直しが一気に始まりました。)



そんな、この場所に置かれて4年目の今思っていることは。


・「置かれた」ことには、カルマのような理由が存在していて。神さまのようなところから、その環境下に入ることを提案されたのだろう。

・その「置かれる」ことがどうしてもNGな場合は、どうにか断っていたのでは。だから、自分で選んで「置かれている」って見方もある。

・もし断る余地があった時には。断らないことを選んだことで「神さまの選択肢に合意した」みたいな見方も出来る。

・選択肢もなく、飲み込まれるように「置かれた」ケースもあると思う。またこの場合には、カルマ的背景が強そう。。。


ということ。



どんな背景があるにしろ。
神さまから提案された場所を選び、「置かれて」いるなら。
その場所で全うしてみれば、必ず見えてくるものがあるのでは、と思う。

そしてその、「見えて来るもの」は。
神さまのような存在が、「今、これ経験して知っておくといいよ」って、与えてくれているものなのかも、とも思う。


ブラック企業や、搾取される一方のような環境下なら、ぜひ逃げて欲しい。
自分の心と体の健康を、第一に考えて欲しいし。
「咲く」ために必要な、客観的な良い面がない場所で頑張り続けるのは危ない。


でももし、良い面も少しは感じられるなら。
ちょっと考えなおせそうな余地があるなら。
置かれた場で笑ってみることも、アリかもしれないと思った。



渡辺和子さんは、カトリックの学校で学長を長くされていて、キリスト教の考えに沿ってお話しくださっていますが。

ヨーガの学びの中で、受け取ったこととも何も摩擦せず。



知識、知性はUniversalで同じ。



咲けない時には、心を休める為に。
またちょっとダレている時には、正して踏ん張って、咲く為に。

いつも、知識に戻ってこようと、感じさせられた本だった。
知識はいつも、厳しくも優しいものだから。



ちなみに、4年目現在の私は。
「ここに来る理由があって、それを自分で選んだ」と思って生きていて。

もう、隔離生活のような暮らしをしていることを、一方的に旦那さんのせいにすることもなく。

話をしてもスムーズで、我が家のケンカは、うんと少なくなった。



少しだけかもしれないけど、咲けてはいると思う。









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