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【ハンガー・ゲーム⓪少女は鳥のように歌い、ヘビとともに戦う】スノー少年はどのように大統領になったのか

映画「ハンガー・ゲーム0」観てきました!スノー大統領が18歳の時を描いた前日譚で、まだ始まったばかりの頃のハンガーゲームが登場するスピンオフ作品。カットニスたちは出てこないのでどんな感じかなと思っていましたが、しっかりおもしろかったです。

ここからは映画と小説の内容のネタバレがありますのでお気をつけください!(どちらかというと小説の感想多めです。)

舞台は第10回「ハンガー・ゲーム」が開催される年。カットニスが参加したのが第74回だったので、本編から64年前の話です。

主人公は、本編では冷酷非道な大統領として登場したコリオレーナス・スノーです。このコリオレーナスという名前に全然馴染めなくてですね、小説を読んだ時は最後の最後まで脳内でスムーズに再生できませんでした。映画を観てやっと音として入ってきた感じです。

第13地区の反乱で両親を亡くしたスノー少年は、名家の跡継ぎにもかかわらず、貧困にあえいでいました。そして、なんと、3巻の最後にチラッと登場したタイガレスがスノーと姉弟同然に育った従姉妹だということが明かされます。「ハンガー・ゲーム⓪」ではとても仲が良さそうなのに、なぜ彼女はスノーの死を望むようになったのか…。ちなみにそれは最後までわかりませんでした。なぜなんだタイガレス。

映画のタイガレスは想像以上にきれいで驚きました。晩年はヒョウのようなタトゥーを顔全体に入れ、素顔が全くわからなくなっていたので余計にびっくり。そして、「ハンガー・ゲーム」本編で第13地区にいた時のエフィーのようなターバン巻をしているではありませんか!「昔はこういうのが流行ったのよ」とエフィーは言っていましたが、64年前にたしかに流行ってる。

「ハンガー・ゲーム」自体はまだ10回目なので、カットニスたちの時代と比べると全く整備されていません。闘技場はコロッセオのような質素な空間で、ゲームに使われるドローンや司会者の腕もお粗末です。生贄たちの扱いも雑だし、そもそも視聴者が少ない。そのため、政府は「ハンガー・ゲーム」を人気のエンタメに、そして反逆者たちへの効果的な抑止力にするために知恵を絞ります。

そのために考えられたのが、教育係という制度です。スノーは初めての教育係に選ばれるんですね。しかも担当は第12地区の女子。まさかスノーが間接的とはいえ「ハンガー・ゲーム」経験者だったとは。そして将来自分を滅ぼすことになる第12地区の女子とパートナーになるとは。運命のいたずらにゾクゾクします。

またこの第12地区代表のルーシー・グレイという少女がめちゃくちゃ魅力的なんですよ!カリスマ的素質を持った歌手で、歌の力で観客を次々に魅了していきます。

スノーの発案で、どの生贄が生き残るのか賭けをしたり、お気に入りの生贄に食糧を送ることができるスポンサー制度が採用され、それがルーシー・グレイが生き残る切り札になるのが意外でした。ていうか、カットニスの時代に続く「ハンガー・ゲーム」を作り上げたのは、ほぼほぼスノーなのでは?というくらいゲームの運営に関わってきます。

それでいて、本心では「ハンガー・ゲーム」の開催自体に懐疑的なのが不思議で、生贄たちの扱いや「ハンガー・ゲーム」という罰則自体をよく思っていないんです。

生贄の扱いは本当に酷くて、動物園の檻にまとめて閉じ込められ、見世物にされます。ゲームが始まる前に半分は死んでしまうし、ケガをしても治療するのは医者ではなく獣医。

少なくとも闘技場に入る前に豪華な列車で運ばれ、おいしいものをたらふく食べ、美しい衣装に身を包んでいたカットニスたちがまだ幸せなのではないかと思うくらいひどいです。

そして18歳の時のスノーは、そんな生贄たちの置かれた状況が間違っていると思う良識はあるのです。それなのにどうしてあんな大統領になってしまったのか…。

反乱による恐慌状態を経験したスノーが、反逆者である地区の人間を恨むのはわかります。その悲劇を二度と経験したくないという気持ちも。でも正義感よりは保身や自己顕示欲の方が強いタイプのように見えるので、どうしても共感できないのかも。

そんなスノー少年、驚くべきことにルーシー・グレイに恋をします。凝り固まった選民思想とビルよりも高いプライドを持っているスノー少年が、第12地区の少女に恋をするなんてこと、信じられますか?

たしかに煌びやかに着飾ってステージで歌うルーシー・グレイは輝いていました。映画の前半ではボロボロの姿だったので、メイクをした姿は余計に美しく見えたのかも。歌も含めてパブのシーンは本当に何回でも観たいくらいよかったです。

そしてそんなルーシー・グレイとの思い出のあちこちに、第12地区は登場します。彼女が歌う歌も。それが、カットニスたちの時代と重なるようになっているのが心憎いです。マネシカケスも重要なキーアイテムとして登場します。

スノーはカットニスを見る度、ルーシー・グレイのことが頭に浮かんでいたんじゃないのかなと思わずにはいられません。マネシカケスという生き物を忌み嫌っていたスノーは、地区の証としてマネシカケスを選んだ時点でカットニスのことを殺したくて仕方なかったはず。自分の手を逃れたカットニスが、おぞましい青春の記憶を呼び覚ます首吊りの木の歌を歌っている時も。

人の命をゲームのコマのように操ってきたスノー大統領ですが、18歳のスノー少年は権力者の手で操られる側の人間でした。命を軽く扱われ、権力者の意思1つで人生を弄ばれます。その経験が、その後のスノー大統領を形作ったのかと思うと恐ろしいです。自分がやられて嫌なことだったからこそ、それが誰かにとっても有効な脅しになるということを学んでしまった。愛する人を人質に取ってしまえば、人は逆らえなくなるということも。

キャピトルの支配が及ばないと言われている、はるか北の土地のことも気になります。64年後の世界では、スノーはその土地も掌握しているのでしょうか?そこには何があるのでしょうか?

本編を読んだとき、スノー大統領は自分勝手な独裁者ではなく、反乱によって大切な人を失った側の人間だからこその信念があって、圧政を強いていたのではないかと思いました。でも、「ハンガー・ゲーム0」を読んだ今は、そうでもないのかも…?というのが正直な感想です。

ルーシー・グレイと出会って、恋に落ち、第12地区での暮らしを経て、人間としての感情を育んでいたのに、それを壊されてしまう出来事が起こるのかなと思っていたけど、そういうわけでもない。結局は権力を握る側でいたいという野心に突き動かされていただけなのかもしれません。

私はルーシー・グレイは生きていると思うんですよね。第13地区に拾われ、未来の反逆者たちを育てる側に回ったのか、それとも第12地区に戻り、カットニスやピータの血縁者となったのか、その辺りはわかりませんが、最終的にスノーの命に手をかけた人間に関わりがあるような気がします。

ルーシー・グレイが歌っていた歌がカットニスのお父さんを通してカットニスに受け継がれていることを考えると、第12地区のシームに残った可能性が高いのかな。

原作は上下巻でかなり濃密なストーリーになっていましたが、映画はこれを2時間半の枠に見事に収めていました。もちろんカットされているエピソードもあるけど、映画自体はとてもおもしろかったです。

ただ、気持ちいい終わり方ではないですね。悪者しか生き残っていないという...。できれば続編を読みたいですし、映画もまた新しいのが出たらいいのになと思っています。

「ハンガー・ゲーム」シリーズについては本編の感想文も書いているので、よかったら覗いていってください⇩

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