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【ハンガー・ゲーム】集められたのは24人、生き残れるのは1人だけ

12月に「ハンガー・ゲーム」の最新作が公開されると知り、これまでの映画と原作をすべて観なおしました。私やっぱり好きだ、このシリーズ。

各地区から集められた24人の少年少女たち。生き残ることができるのはたった1人だけ。そんなサバイバルデスゲームという印象が強い作品ですが、実は圧政と反逆の物語なんです。

今回、改めてシリーズを観なおしたことで色々と思うところがあったので、感想文を残しておこうと思います。映画のネタバレも原作小説のネタバレもめちゃくちゃあるので、まだ「ハンガー・ゲーム」を観たことない、読んだことがないという人はお気をつけて!

物語の序章である第1巻では、「ハンガー・ゲーム」とはなんぞや?ということが丁寧に描かれています。そして首都キャピトルと、キャピトルに支配される各地区との関係も。

物語の舞台は北アメリカ。ということは、ジャンルでいうと近未来SFになるのかな。パネムという国が反乱から立ち直って74年目を迎えた年です。被支配者である12の地区は、74年前に企てた反乱の代償を、今もキャピトルに対して払わされています。

それが、1年に1度行われる「ハンガー・ゲーム」。12歳から18歳までの子どもたちの中から、男女1人ずつを生贄として選び、最後の1人になるまで戦わせる恐ろしいゲームです。

主人公のカットニスは、生贄として選ばれてしまった妹プリムの代わりに志願し、「ハンガー・ゲーム」に参加することになります。カットニスは8歳の時に事故で父を亡くし、ふさぎ込んでしまった母の代わりに、密猟をすることで妹を必死で食べさせてきました。生きるために手に入れた狩りの技術が「ハンガー・ゲーム」では強力な武器になります。

私は、夫の死をきっかけに娘たちを生き延びさせることを放棄してしまった母親のことを、カットニスが未だに許していないところが好きです。最愛の人を亡くしたんだから仕方ないよね、私が頑張らなくちゃ、といい娘になってしまいそうなところを、いやそれとこれとは別でしょ、親には子供を食べさせる義務があるでしょという考えになるところが好きなんです。また、これは第12地区では人が死ぬことが日常茶飯事だということが匂わされている描写でもあります。

そんなカットニスのお母さんに、ピータのお父さんがかつて恋をしていたというエピソードも好き。これは映画では描かれていませんでしたが、カットニスのお母さんは第12地区の中では比較的裕福な商人の家の生まれです。同じく第12地区でパン屋を営んでいたピータのお父さんは、いつか彼女と結婚したいと思っていたんだとか…。でも、カットニスのお母さんは、貧しい炭鉱夫と恋に落ち、かけおちして貧民街のシームで暮らすことになります。

そりゃお父さんが死んじゃったら病むよね、と正直思いました。大恋愛の果てに結ばれた、それはもう大好きな相手だったわけで。

そして、お父さんからそんな話を聞かされて育ったピータが、父親が恋した女性の娘であるカットニスに惹かれていくというエピソードも素敵です。こういうの大好き!

そもそもカットニスとゲイルとピータの関係は、映画よりも小説の方が複雑。映画を初めて観た時は、カットニスとゲイルが恋人同士で、ピータはそれを知りながら片思いしていたんだと思っていました。でも、小説を読むとまた見え方が違ってきます。小説のカットニスは、ゲイルのこともただ仲の良い友達だと思っていました。それを踏まえて映画を観てみると、たしかにゲイルとカットニスは友達以上恋人未満のようにも見えるかも。

あと私はヘイミッチのことも大好きです。何度も大げんかをしながらも、実はずっとカットニスの味方なところに胸を打たれます。どっちかというとヘイミッチも反逆者的な思考回路なので、カットニスのことが放っておけないんでしょうね。心身ともに強そうなヘイミッチをアルコール中毒にしてしまうくらい恐ろしい目に遭わせた「ハンガー・ゲーム」が憎いよ…。

「ハンガー・ゲーム」は、最後の1人になるまで殺し合いをさせるというのもひどいですが、勝ち残っても一生ゲームから逃れることができないというのがつらいです。勝者は新たな生贄の教育係として毎年ゲームに駆り出されるのが習わしになっています。しかも第12地区はなかなか勝てない地区なので、ヘイミッチは25年くらいずーっと教育係で、毎年出会っては死んでいく生贄たちの1番近くにいたんです。そりゃあアル中にもなるってもんだよ。

あと1巻に登場するキャラクターでいうと第11地区のスレッシュも好きです。彼が「ハンガー・ゲーム」をどう戦ったのか詳しく知りたい気持ちでいっぱい。ルーと同盟を組む選択肢はなかったのかなとも考えましたが、ルーの特技はスレッシュが隠れ場所に選んだ平原では発揮できないので別行動だったのかもしれません。

映画にないシーンでいうと、ルーを救うために最後まで手を尽くしたカットニスに、第11地区からパンのプレゼントがあるシーンも好きです。今日という日を食べるのにも苦労している人たちが、少しずつお金を集めて届けた感謝の気持ち。でもこれも、スノー大統領からすると反逆の芽にしか見えなかったのでしょう。

12の地区が結託しないよう地区同士の行き来を禁じ、「ハンガー・ゲーム」で殺し合わせることで互いへの敵愾心を煽っているスノー大統領にとって、自分の地区以外の生贄に贈り物をする行為は脅威でしかなかったはず。カットニスは、ピータと2人で生き残るために考えた木の実の作戦がなかったとしても、スノー大統領から要注意人物認定されていたような気がします。

また、狩りの能力に優れ、「ハンガー・ゲーム」でも冷静に生き残ってきたカットニスが、血が怖いというのは意外でした。プリムは虫も殺せないような可憐な少女ですが、母から受け継いだ医療従事者としての能力はずば抜けています。戦士と医者には全く違う資質が必要なんだなと思ったシーンでした。

最後まで勝者の座を争ったケイトーのことは好きになれませんでしたが、それでもあんな死に方をしなくてもよかったんじゃないかとは思います。小説ではカットニスが最後の矢を放つまで一晩かかっているので、映画よりもさらに苦痛は長かったはず。彼らを襲わせたミュットが、すでに亡くなった生贄たちとよく似た姿をしているというのも趣味が悪いですよね。

ゲームが終わった後、生贄たち24人が過ごしたトレーニングセンターに1人で戻らないといけないというのも残酷。カットニスはピータと2人だったのでまだ気持ちを分かち合う相手がいたけど、ヘイミッチは毎年この施設に来るたびに自分が参加した「ハンガー・ゲーム」のことを思いだすんだろうなと思うとしんどいです。

そして勝者は大勢の前でゲームのダイジェスト映像を見せられ、コメントを求められるという…。徹底的にエンタメ化された「ハンガー・ゲーム」が、キャピトル市民と各地区の住民との間で全く違う意味を持っているのが不気味です。

かつて起こした反乱の罪を忘れさせないためという理由で開催されている「ハンガー・ゲーム」ですが、反乱から74年が経ち、幼い頃から「ハンガー・ゲーム」と一緒に育ってきたキャピトル市民からすると、よく作られたドキュメンタリーのようなものなのかもしれません。実際に闘っているのが同じ人間だという意識が薄いんですよね。

インタビュアーとしてゲームに深くかかわっているシーザー・フリッカーマンは、生贄の子たちが危険なことを言わないようにうまく誘導しているように見えます。なので、地区に対する親近感みたいなものが少なからずあるのかなと思っていましたが、反乱が起きてからは完全にスノー大統領側なんですよね。ただただエンタメとして盛り上げるために生贄に共感するふりをしていたのでしょうか。

そしてどうしても考えてしまうのが、もし刈り入れの日に選ばれたのがピータじゃなくてゲイルだったら…ということ。カットニスに負けず劣らず弓が上手いゲイルは、最後の1人になるまで生き残る可能性は十分にあったと思います。でもゲイルとカットニスでは運命の恋人たち作戦はできなかったかも。そうなると勝者になれるのはどちらか1人なので、また違う悲劇になったのかな…。

特に映画のゲイルは切なくて、愛する人が遠くで戦っているのをただ見ることしかできない悲壮感が漂っていました。ピータとどんどん距離が縮まっていくところを見ないといけないことより、カットニスに危機が迫っていても助けに行けないことが歯痒かったんじゃないかと思います。想像だけど。

ひとまず1巻の感想を書いてみたところ、3,500文字を超えていて自分でも引きました。シリーズ全部一気に書こうと思っていたけど、何回かに分けた方が良さそうなので、ここまでで一旦切ります。

最後に言わせて!ジェニファー・ローレンスの弓を引く姿かっこよすぎ!

2巻の感想文は⇩

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