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自分を愛すのは一番身近にいる「自分」から。せめて自分は自分の味方であれ

こんにちは、ゆうです。

突然ですが、自分を愛すのは一番身近にいる『自分』からだと思うのです。略して「オレオレから」と、お覚えください(笑)

人生は良いことばかりじゃありません。むしろ、良いことより悪いことの方が多いんじゃないかと思うときもあります。

人生のどん底に落ちたとき。
もう、やめようかなあと思ったとき。
自分の周りに味方が一人もいないと感じたとき。

そんなとき、自分だけは自分の味方で居てあげてほしいんです。自分だけは自分のことを愛してあげてほしいんです。

私は高校生時代、自分の味方にはなれなかった。だからこそ、将来の自分の味方にはなってあげたいと思うのです。将来の自分の為に、あの頃の自分を救う為に、そして二度と繰り返さない為に、文章に残しておきます。

暗黒期:高校生時代

実は私、中学校までは勉強ができる方だったんです。高校も県上位3つに入る公立高に進学しました。もちろん、入学前は有頂天です。トルコアイスぐらい、私の鼻は伸びきっていました。

まあ実際は、周りからあーだこーだ言われない為、勉強していた部分もあったのですが。そんな動機がありつつも、やっぱり「自分は頭が良いんだ」って思うものです。そして、いつしか、「勉強できること」が自分の核となるアイデンティティになっていました。

伸ばしすぎたトルコアイスが千切れてしまうのと同様に、入学後、私の伸びきった鼻は見事にへし折られます。「折られる」より、キャベツの如く「千切りにされる」のほうが適切な表現かもしれません。あ、いやフードプロセッサーに入れられ (ry

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自分は、高レベルかつ膨大な量の勉強についていけませんでした。授業の内容を理解するだけでも精一杯で、「予習→授業→復習」のサイクルを回すことが出来ませんでした。

当時の自分は、記憶力も良くありませんでした。他の科目の予習がある中で、毎週、英単語100単語を覚えるのは狂気の沙汰としか思えませんでした。覚えられないのだからテストでいい成績が取れるわけありません。毎週開催される英単語テストは、毎回、「補習行き」確定演出でした。

他の科目はどうだったのか、だって?

毎週行われる英単語テストでこのあり様なので、定期テストの成績など言わずもがなです。いつしか「高得点獲得」から、「赤点回避」すれば満足する自分に変わっていました。

自分のアイデンティティが喪失したとき

自分の核となる要素がぶっ壊れたとき、どうなると思いますか?

正解は、現実逃避し始めます。必死で今まで自分が積み上げてきたアイデンティティを守ろうと、そのアイデンティティを崩さないよう小細工を始めます。

自分の場合、「勉強ができること」が自分の中の最大のアイデンティティでした。当時の私は、わざと勉強せずにテストを受け、「自分は本気を出していないからこの点数になったんだ」と逃げていました。自分が本気で勉強して赤点を取ったら、100%自己を失うと、当時の自分も本能的に分かっていたのでしょう。

ちなみに、この時に身に着けた能力は「アニメの1シーズン(12話)を1日で見る能力」です。四六時中、アニメとかドラマを見てました。スペックとか、響け!ユーフォニアムとか。まあ、アニメやドラマの中で頑張っている人を見て、余計に「自分は何してんだ」ってなるのですが、、、

今思えば、世の中のほとんどの人がこういった経験があるのだと思います。自らが築き上げた地位を必死に守ろうとする上司、今まで自分が大事にしてきた文化を否定されると攻撃的になる人。

誰もが防衛本能を持っていて、せっせこ積み上げてきた「自分のアイデンティティ」に固執し、脅かす存在を排除しようとするのです。人間って面白いですね。

新たなアイデンティティ、見ぃーつけたあ!

少し話が脱線しましたが、「勉強ができる」というアイデンティティの防衛も長くは持ちません。ずーっと脅かされていたら、次第に陥落し始めます。

そうなったとき、人は新たなアイデンティティを探し始めます。私の場合は、運動ですね。昔の私は「運動と勉強両方できる奴はいない」と勝手に思っていたので、勉強ができないなら運動できるようになろうと浅はかにも思ったのでした。

ここら辺の勉強と運動の話は、前の投稿で話しています↓
『不器用なら抽象化し横展開せよ』

まあ、結果は勉強できる奴は運動もできるので、新たなアイデンティティ獲得とはなりませんでした。

このままダラダラ書いても飽きちゃうので、今回はここまでにしますが、高校時代に失ったアイデンティティの影響は大きかったです。この後も、新たなアイデンティティ探しはしばらく続きました。

勉強できない自分はバカだ、価値がない

当時の日記を振り返ると、こんなことが至る所に書かれています。
・周りは頑張っているのに、頑張れない自分が嫌い
・自分に余裕がなく、周りを気遣えない自分が嫌い
・テスト直前で勉強から逃げる自分が嫌い

そうです、どれも「自分が嫌い」と書かれていて、自己批判が止まらないのです。「なんて自分はダメなやつなんだ」、「自分はこんな簡単なこともできない」と。

今だから分かりますが、こういう感じで「自己批判」に陥るとなかなか抜け出せなくなります。勇気を出して挑戦して失敗するより、自己批判して自分は出来ない奴だと言っている方が、居心地がいいのです。

しかし、自己批判は一時的な安心感を得られても、長期的には悪影響が出てきます。毒を盛られて即死するなら分かりやすいですが、実際はそうではありません。自分が気付かないうちに、じわじわとゆっくり体中に毒が回り、体に違和感を持ちながら、苦しみながら、この世から消えていく気分です。

いつの間にか、「自分はバカだ」というフレーズが頭の中にこびりつき、何でもネガティブにとらえてしまうようになります。次第には、生きる意味を考えるようになります。私は何のために生きているのか、私は何で生きているのか、と。

対処法は1つしかない

自己批判の対処法は、1つしかありません。

「まずは自分が自分を愛してあげること」

です。

たとえ自分の周りに味方が居ないと感じても、もうやめようかなあと感じても、自分だけはそんな自分を認めてあげるのです。ネガティブな感情を抱いている自分を認めてあげて、「あー、自分は今悲しんでいるんだなあ」、「自分今、つらいんだなあ」と抱きしめてあげます。

ものすごくスピリチュアルの要素を感じますが、心理学でも「セルフコンパッション」などという名称で扱われていたりします。(セルフコンパッションのやり方は、また後日まとめますので暫しお待ちを!)

じっくりコトコト煮込みましょ

そんなこと言われても、すぐには自分の味方になんかなれないよ、と思うでしょう。

その通りです。世の中には、一瞬で人生を良い方向に変える劇薬はありません。(無いよね?分かんないけど。あったら教えてくださいお願いします!笑)

それでも、ずっと人生のどん底に居ると暇になります。同じ生き方に飽き始めます。だったら、「気晴らしにでもやってみるかあ」ぐらいの気持ちでやってみましょ。お金もかからないし、なにも減るものはありません。一言、「今自分はしんどいのかぁ」と労わる言葉をかけてみましょ。

これは、カレー理論を応用できます。(何だよそれ、って思った人、後で職員室に来なさい。一緒にカレー作って、身をもって体験してもらいます)

煮込めば煮込むほど、おいしいカレーができるように、時間をかければかけるほど、きっと昨日よりはマシな自分になれるはずです。少なくとも、今の自分がいることがその証明です。

つらいとき、しんどいとき、もうやめようかなあと頭によぎったとき。
一番に自分を労わってあげられるのは、自分自身です。
たとえ自分のことがよく分からなくても、自分と一番長く関わっているのは自分自身です。
生まれる前から、1秒たりとも欠かさずに、ずっと関わっているのだから。

周りに味方が居ないと感じても、せめて自分ぐらいは自分の味方で居てあげてください。「オレオレから」ですよ。

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〇Photo by Giulia Bertelli on Unsplash
〇Photo by Andrea Niosi on Unsplash

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