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余計なおせっかい

 文字通り、余計なことなのかもしれない。

 実際に、私は、これまでそんなことをされてうれしい気持ちになったことはないし、むしろ嫌になるものではあった。

 …‥今でもそうかもしれない。

 けれど、余計なことーー自分にとっても余計なことができる人は、それだけ余裕を作れている人なのではないか、と ふと、感じた。

 自分のことだけではなく、相手のことに対して時間を作れる、そんな心の余裕のある人。

 ……いや、それをしてしまうばかりに余裕がなくなって焦っているのでは、なんて思うこともあるし、たいていそんな人はかえって余裕がないようにも感じてしまうけれど。自分のことを疎かにしてまで、世話を焼いてしまうから。

 時代が変われば、流れも変わる。

 そんな余計なおせっかいが功を奏して回ってきたことも、たしかにあるのだと思う。

 気にされている、気にしてもらえている、そんな人がひとりでもいる限り、それは心の支えになりうるから。

 今はなかなか、そうした付き合いはないのかもしれない。けれど、

 それをただの迷惑とは捉えずに、そんなことができる人、と捉えられると、見方も変わってくると思う。

 余計なおせっかい、と感じたことを受けたとき、それだけではなくて、そうして気にかけてくれたことに感謝をすること。

 そんなことを意識していかれたら、もっと豊かになると思うし、何より、その人自身も救われると思う。

 ……私は今でも、あまりいい気持ちはしないけれど。

 相手のことを考えられる、そんな温かな心の持ち主がいるのなら。少なくとも、

 感謝を、していきたい。

いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。