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窓に隔たれたひとつの世界

 遮光のゆらぎに光の重さを感じる。部屋に入りこむ日差しが眩い現実を想起させる、あまりにも重い。

 静寂に満ちた空気が漂う埃にまで浸透し、無音舞踊とでも表すべき味わいを思い浮かばせたが、そもそも埃は音もなく舞うものだと、今更ながらに気づく。

 それにしても、窓一枚に隔たれた空間の違いが、こうまで別の世界を形作るものだとは。いつの世に、同じように気づいたものがいるだろう。

 それは夢と現実を行き来するための扉に違いなく、停滞し、淀みゆく空気の濁りがうみだすこの部屋からの脱却を示しているーーとは、到底思えない。

 確かに自然はあまりにも光で溢れており、空は青く、深く、どこどこまでも続いてはただそこにいる。手を伸ばせば届きそうなほど近くも思えるが、どれだけ差し伸べようとも何もつかめない。空しさ、とは、このようなときに生まれた言葉かもしれない。

 しかし、そんなこと何も意味を持たない。正確には、意味を与えられない。

 空白に彩りを施せるのはその想像力如何の話しではなく、そこに希望と期待を見出せる者が踏み出す原動力にこそ発揮されるものだ。そこに諦念と鬼胎を抱く者がつかみ取れるほど、容易なものではない。

 しかし、それが難儀であるからといって、傍観してはいけない所以はあるまい。目を向け、耳を傾け、肌に触れる。その感覚に全身全霊をかけて、ここにいることを知る。確かめる。それ以上、何も望みはしない。

 窓一枚に隔たれた、次元の違いにも似た夢を頭痛と共に喚起して、暗い眼に灯る現実が儚くも散りゆく日々を夢想している。

 それだけを待ち望み、遮光の重みを布団に被せながら、瞼を閉じた。眠りにつくまでの数刻。意識が途切れる瞬間までを、しかと感じて、おこう。

 

いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。