そうやって輪郭を保つ
風が吹けば、すべて忘れる。
そんなふうになれたら、どんなに楽だろう。
拾い集めた木の葉が無惨に散っていく様を眺めながら、あの子たちはきっとそれぞれの生を生きていくに違いない、と。そんなふうにも、思った。
春に近づくにつれてぼやけていく空気が、どうにも思考を鈍らせる。私はどこにいて、何をしているのかも曖昧なまま、たよりない輪郭を必死に守っているようにも思う。必死に? もしかしたら、ただ、縋っているだけなのかもしれない。
私が生きているのはただ、まだここに生きているからであって、吹き飛んで消えてしまえるなら、それに身を任せてしまいたいし、かといってそれを望んでいるわけでもない。生きたい、死にたい、ではなくて、ただ、そう、ただ、生きているだけだった。
それでも自分の輪郭がぼやけるのは怖いとも思うし、風の心地よさにうっとりする気持ちもある。
そんな、刹那的な感覚でしかこの世を実感できず、未来の姿なんて予測もできなければ、それを想定して動きたいとも思っていない。もちろん過去の姿なんて映像のように残っているものもあるけれど、大半は過ぎ去ったまま風化し、掘り出すこともできない。
ふいに、老夫婦が散歩をしている姿が見えた。お爺さんが先を歩き、お婆さんはそれを支えるように寄り添っている。お爺さんがある花を指差して振り返ると、お婆さんはそっと前に出て、何かを言っている。その二人の笑顔は、なんとも朗らかで、光り輝いているように思う。
あんなふうに、歳を重ね合わせて生きていくのもまた、よいものなのだろう。
私には、縁のない話しだ。
私はこれから先もひとりで生きていくし、支え合って生きていくなんて、とてもできはしない。
私に、与えられるものなんて、何もない。
この瞬間、この一瞬、ただ、それだけを生きて、生きている。
それはよいものだ、と思う、けれど、それを選ぶか、というと、別な話しだ。
それでも、きっと、私のように、輪郭のぼやけた空気に恐怖を抱くような思いはしなくてもいいのだろう、な。そんなものとは縁遠い世界に、生きているのだろうな。
風が吹いて、通り過ぎる。
あの木の葉たちみたいに、あの子たちみたいに、散ることもできず、停滞している。
私は天を仰いで、立ち上がると、今は過ぎてしまった老夫婦の行った先は目を向けて、唇を噛み、締めた。
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。