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愛は繋がっている

愛情の欠如による不幸の連鎖をここで断ち切りたい。

ふとした瞬間、思う
父親の不正行為や理不尽な暴力、それを浴びて生きてきた私とそれに耐えた私の母親。歪みを成長に変えてここまで生きてこられたのは、紛れもなく私の母の愛情と、その母を育ててくれた母の実家の家族の存在。そして、そんな父にも愛情を注いでくれたであろう亡き叔父が遺してくれた今もなお記憶の中に生きる愛情。父が人生を棒に振らず自営を営み孫と暮らせている事実、それが証の一つではないだろうか。

(今となっては父とも多少和解している、父にも耐え難い過去があったことを知っているから、だからと言ってされてきたことを許しはしないが、それをいつまでも掘り返して攻めることは不毛。それよりも、多少気性に丸みを帯びた父を今に至るまで心の中で支え導いてくれた育ての叔父に感謝をして、私は父に日々接している。)

第一子を出産して、早くも一年二ヶ月が過ぎた。七夕も、父の日も、子供の日も、子供がいる事によってお祭りのように賑やかになった。一年の中にたくさんのイベントがある。私もこうして、いろんな人と、とある一日をお祭りのように楽しんで過ごしていたのだろうと、朧気な幼少期の記憶を辿る。

息子は元気に毎日を過ごしてくれている。今はまだ、幼児健忘によって記憶は留まらないだろうは、私がちゃんと覚えているし、写真にも、動画にも残している。みてねというアプリにバックアップもしてある。産前からは想像し難いほどの親バカになってしまった。

自分の歪みを家族や両親のせいにしていた私は今や過去の存在だ
もう他人に責任をなすりつけて生きるような無責任な人生にすることに何も意味を感じない。それでは何も変わらないし、私の望む生き方ではないと理解できたらだ。しかし、足りないものはいまだに山ほどある。しかし、物質世界に生きる半身での話だ。もう片方は十分に満たされている。それは物質ではない、心の中にある温かい場所

子供を産んだからと言って、すぐに母親になるのではない。
子供を身籠る前から、子供を身籠りながら、そして私の体を突き破って出てきてから、訓練されるのだ。あらゆる自分の過去と新しい自分に掻き回されて、以前とは違う自分にいつの間にかなっている。気がつけばお母さんという存在になっている、私はそんなふうに思う。

父からの暴力や、母の不在、兄弟同士の不仲、友達との離縁
愛の欠如を多く感じ取ってきた私に、母として子供に愛を注ぐことができるだろうかと思いながらの妊娠生活を送っていた。
杞憂だった。私一人ではきっとネグレクトしていただろう。周りに頼り、自分にできることとできないことを理解しそれを認めることから一歩が始まった。育児という名の大仕事が。
それには山梨県を一度離れなければならなかった。耐え過ぎた結果。
自分の存在意義などないと思って生きてきたが、子供ができたおかげで、私は子供にとっての唯一無二になってしまった。幸せなことだ。この幸せには責任という重さもついてくる。ぬか喜びは束の間に終わる。
その責任という重圧を生きがいに変えて夫婦でこれから果樹や花卉を栽培したり、時には日銭を稼いで生きていかねばいけないだろう。
一人で生きるのは気楽だし、なんとなく死ねる。
けれど、生きることに大義が生じたことで私の人生はまた動いている、不安を感じる度に成長も同時に感じている。
息子の笑顔と健康を守りたい。

その思いに突き動かされて毎日生きている。

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