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【過食嘔吐】愛にふれ、過去を受け入れる

時々、無償の愛情が欲しくなる
いい歳して何を思っているんだと、自分でも思う
でも、感じたい。できれば温もりという感覚と共に。

どうしてこんな風に思うことが間々あるのか、思うたびに考える。
恥ずかしいことを言うようだが、正直に答えるとその象徴は「母」。
私の母は私の中で世界一尊敬していて、愛している家族
そう言う風に言えること自体もありがたいことだし、感謝しかない。

しかし甘えているな、とも思ってしまう。
自然な流れで行けば、確実に私よりも先に召される両親。
きっと、母のその時には私は暫く泣き続けてしまうと思う。
悲しみと、尊さと、頑張ったねって言う労いと、もういろんな感情がぐちゃぐちゃになって頭で処理しきれなくなって、涙になって私の心の代わりに溢れてくると思う。

母には沢山の心配をかけた、泣かせた時もあった。困らせた。
今こうして綴り始めたばかりなのに、すでに喉が熱い。
このコロナ渦中、滅多に会いに行けないでいる、車で行けない距離ではないが、母にとって私がこうして他県に嫁ぎ、何とか自立して暮らしていてくれている方が何よりも幸せで安心するそうだ。
私は親ばなれできていない。
お恥ずかしい話。

こんなにも母を思うようになったのは、昨年の肺癌の発覚が大きなきっかけ。母がこの世から旅立つ、そう言う自然な出来事をどこか浮き世の事と認識していたんだと言う、間抜けな知ったかぶりの愚かさを思い知らされた。二十歳からの十年間、過食嘔吐と抑鬱、適応障害など、精神的な障壁に加えて、子宮筋腫の手術など病院に多数お世話になる頃があったが、その時最も献身的になってくれたのが母親だった。また母方の叔母も、私のことをいつも気にかけてくれていた。

いつも私のことを思ってくれている。それがなんて幸せなことであるか。他人と比較し、己を卑下して生きてきた自己憐憫の塊だったあの頃の私にとって「見てもらえている」と言う感覚は、生に直結した。

今となってもそうであるようで、時々母と連絡をとると(コロナで会えない分電話の機会を増やした)、ちゃんと食べてるの?とか、電話から少し離れた位置から微かに父の声が聞こえたり、猫の首の鈴の音がしたり。そう言う、実家の雰囲気を電話越しからでも感じられると、非常に心地よく、胸があったかくなる。(10年前は考えもできなかった。)私が生きてきた場所が、この家族の元でよかった。と、三十歳になってしみじみと思った。

まだ、過食嘔吐はなくなっていない。けれど、前よりはよくなってるんじゃない?その母の言葉をプレッシャーに感じることも減り、そうかもしれないと素直に頷いてもいいかなと、心境の変化があることは確かで、過食嘔吐も年々大変しんどく、また金銭面でのストレスも加えて辛い。いい加減やめたい、を、忘れてた!に移行できるまで随分訓練が必要だった。
忘れてはならない、生きてきた証を忘れ去るなどしたら、その時支えてくれた方達のことも忘れる事になる。

私は過食とすごしたこの二十代を決して忘れない。
三十代で、過食と同じくらい付き合う気も毛頭ない。

母の愛、父の愛、叔母の愛、旦那の愛、友人からの愛、職場での愛
様々な愛に囲まれて、まだ過食に頼る必要はないはず
そもそも私がなぜ過食をする羽目になったのか
何億回も考察してそれなりにわかっているはず。

今までいただいた愛を、また誰かに還元できるだろうか。
厚かましいだろうか。 この感謝の気持ちを何に、どう、示したらいいのだろうか。今キーボードを弾く私の手指は暖かく、これも、今までいただいた愛が繋いでくれたものだと強く信じている。

どうかどうか、愛する方達が、己の芯を持って生き抜けられますよう。
無償の愛に、触れられることが出来ますよう。

細やな祈りを、ここに捧げます。


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