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岩手山

 さわや書店のブックカバーで、宮沢賢治の「岩手山」という詩に初めて触れました。短い詩ですが、何度読んでも私には理解できませんでした。

そらの散乱反射のなかに
古ぼけて黒くえぐるもの
ひかりの微塵の深みの底に
きたなくしろく澱むもの

 理解できないのは、私が詩を読み慣れないということもありますが、岩手山の印象が私とはまるで違っていたからでした。
 2038メートルある岩手県最高峰の岩手山は、角度によって印象が異なります。八幡平市からは岩肌が露出し、火口の辺りも見えるため、荒々しく男らしい姿です。雫石町からは火口は隠れて、ふっくらした穏やかな山の端。優しい父親のような印象を与えます。
 比べて、盛岡市から見る岩手山は、正絹の着物を着て背筋を伸ばし正座しておられる。凛々しく端正な姿をしています。
 八幡平や雫石の人からすると、いつも澄まし顔で鼻持ちならない、と思われるかもしれませんが、私は盛岡から見る岩手山が一番好きです。
 賢治は岩手県立盛岡中学校(現・盛岡第一高等学校)から盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)に通った10年間に30回以上も岩手山へ登りました。通う学校はわが家の近く。寄宿舎も遠くありません。私と同じ岩手山を見て、魅了され、私と違い何度も登って実践的な親交を結んできたのに、どうしてこんな風に書くのだろうか。
 詩に答えはないのかもしれません。
 それでも、なんとか理解したいと思う私に、ずい分答えに近いヒントをくれたのが、あすなろ書房が発行している「日本語を味わう名詞入門1 宮沢賢治」でした。
 編集は荻原昌好さんという賢治に関する著書を何冊か出されている方で、詩の後に解説も書かれています。
 「折々の心の持ちようで、見るものが美しくも、みにくくも変化する」
 私は心がふさげば、目もふさがれてしまいます。賢治は心がふさいでも、目は開いていて、ちゃんと風景を見ている。メンタル・スケッチのコツを教えてもらった気持ちでした。


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