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「母になったら」の幻想と現実――それでもあった変化とは。

 私にとって母親とは、それだけで高尚な存在だった。自分もその仲間入りができるものだと、産前はどこかで思っていた。
 実際に母親になってみて思うのだが、これだけ情報が溢れている社会のわりに、その情報からは母親のリアリティがあまり感じられない。情報は知られてなんぼの根性だからか、どうにも魅力的な演出が施されている。素直で阿呆な私はきれいに騙された。

 母親同士の雑談は、驚くほどに高尚でない。むしろ矮小にも思えるし、はっきり言ってしょうもない。けれど、飾り気のないそこにこそ母親たちの本音があると思い、書き出してみることにした。
 ここに記す会話には解答がないので、歯切れが悪く感じられるだろう。ただ、共感される要素はあると思っている。「自分だけではないのだな」と感じてくれる人が、たった一人だけでもいることを願う。


サークル・オブ・マザー Type1:
「母になったら」の幻想と現実と、それでもあった変化とは何か

一緒に話してくれたひとは、田中美樹さん。1歳の子どもを育てているお母さんです。

■ラクになっても楽には生きられない母親たち


――私たちが母親になって約1年半が過ぎようとしています。
今のありのままの自分たちの会話を書き出してみようと思うわけですが。とりあえず、まずは今、一番欲しいものでも教えてもらおうかな?(笑)

田中美樹さん(以下、美樹):“動じない心”が欲しいですね(笑)。性格は本当に変わらないという真実に、私は絶望すら感じるのよ……。

――変わらないね~。

美樹:母親になったら少しは変化するものだと思ってたんだけど。

――私もそうだったし、みんな少なからず思っているんじゃない?

美樹:やっぱり!? 何も変わらないし、イヤなところがあらわになるばかりだった。
気楽にいきたいな。「楽に生きる」は、今の私の人生の目標かもしれない。

――「楽に生きる」と「ラクする」って、全然違うよね。
お互い期待していたような変化はほぼないわけだけど、それでも変化を感じることって何かある?

美樹:うーん……那瀬ちゃん(筆者。以下同)は?

――毎日、朝と言える時間帯に起き上がるようになったことかなぁ(笑)。本当は心の底から寝ていたいけどね。怒りながらでも、起きるしかないから。
あとはほぼ毎日、晩ご飯を作るようになった。

美樹:それは相当自慢できることだよ! 本当に偉い。私は子どもとの生活を経て、料理が嫌いになっちゃったな……。
旦那とふたりの頃は、料理はストレス発散のひとつでもあったの。それが今は子どもが食べるものを作るだけの、あまりにもシステム化されてしまって、料理が全然楽しくない行為になっちゃった。
子どもがなかなか食べてくれない子で、一生懸命作っても食べないものがいっぱいあったのね。それが本当にツラくて、悲しくて。だんだん“食べてほしい料理”が、“食べてくれる料理”にシフトしていったんだよね。

――みんなが料理じゃないにしても、それまでは楽しかったり普通にできたりしたことが、子どもとの生活でどうしようもなく苦痛に変わっていく感覚は分かる気がするな。

美樹:今までの人生では、正しく努力してきたことは、なんだかんだで身を結んできたと私は思っているのね。でも子育てはそうはいかないんだと痛感するし、それを頭で分かっていても、受け入れるのはツラいし難しいね。今は料理は、ただの作業だよ。


■“ママ友”に踏み込んだ付き合いを求めてはいけないのだろうか?


――母親の悩みって、産む前に想像していたのとはかなり質が違った。結局、考えているのは自分に対することばかりなんだ。

美樹:それはどういうこと?

――たとえば、最近ママ友との集まりがあったんだけど、そこで私、子どもの頭をウェットティッシュで叩いちゃったの。そのとき真っ先に頭によぎったのは、「ママ友に引かれたかも」という不安だったんだよ。
ママ友たちからは何も言われなかったし、楽しい会だったんだけど、空気を悪くしたんじゃないかとすごく反省してる。ただ、これって自分のことしか考えていないよね。私は「子どもを叩いちゃって悪いな」が先行しない自分にガッカリした。

美樹:なるほどね。私がその場にいるママ友だったら、「ちゃんと叱って偉いなぁ」と思うけどな。私は子どもを泣かせないためだったら何でもやっちゃうもん。欲しがるなら紅茶も炭酸ジュースも飲ませちゃうし(笑)。
子育てに正解ルートはないし、みんなそれを分かっているんだけど、ときに「こういうママもいる」と思えない場面はあるよね。そうやってズレは生じるのに、なかなかそのズレを解消するまでには至らない。それはママ友だからこそ、みんなが子どもで手一杯だと分かるから。余計なストレスを抱えたくないし、抱えさせたくもないという気遣いでもある。踏み込んではいけないのは、ママ友の面倒なところだね。

――どうして踏み込んではいけないんだろう。“ママ友”っていう言葉がいけないのかな?
ストレスにはならないかもしれないけど、極端に言うと子どもの話題ばかりで話してても楽しくないんだよ。知りたいのは、情報ではなく人となり。せっかく対面しているんだったら、なおのこと踏み込みたいし踏み込んでほしい。

美樹:子育て一年目は右も左も分からなくて情報が欲しかったけど、成長につれて家庭ごとの違いはどんどん顕著になるから、あまりそこに意味はなくなるのよね。逆に聞いてイライラしちゃうこともある。けれどイライラを避けるために子どもの褒め合いになるのはつまらないね……。
“ママ友”がシームレスに“友達”になるにはどうしたらいいんだろうね(笑)。はじめからママ友には、人間同士の付き合いを求めるべきではないのかな。

――そんなことはないはずなのに、そういう印象操作を感じることはあるよね。



■「責任重めの仕事は減ったが、それがツラいことではなくなった」

――ネットラジオ番組「そこ☆あに」の共演を通じて、早いもので私たちの付き合いは10年近くになるんだね。

美樹:そうなんだよね。最初に会ったときは20代前半だったから、その間にいろんな人生の分岐点があったね。
最近、那瀬ちゃんと会うとさ、この先の人生のことを話してくれるじゃない?

――恥ずかしいけど、はい(笑)。30代に突入して、一児の母として生きている自分には何ができるか、最近はよく考えてしまうから。

美樹:前は私も、そういうことをものすごく考えるタイプだったんだよ。だけど最近はなくなったなと思っていて。

――それはどうして?

美樹:うーん……、会社に勤めながら子育てをして、そのうえ「そこ☆あに」も続けていて、「私、けっこうがんばってるなぁ」と思えるからかな。
今は時短勤務になったから、産前に任せてもらっていたような責任重めの仕事は減ったよ。それは自分にとってツラいことだろうと産む前は思っていたけど、今は楽に感じられるようになった。

――それってすごい変化じゃない? 前はお母さんになっても重責を任せられる人でありたかったの?

美樹:そうだね、自分からアピールしてバリバリ仕事を取りに行くようなお母さんでありたかった。もっとステップアップしたいと常に考えていたね。

――仕事に対する欲求が、産前とは違うかたちになったということだよね。
会社員とフリーランスという働き方の違いもあるかもしれないけど、私は仕事への欲求は変わらなかったな。今でも常に「このままじゃダメだ」って悩んでる(笑)。
自分のことを考える時間は減った?

美樹:うん。現に今の私は自分を変えたいと思っていないからね。
でもね、ただただ日々をこなしているだけになっている気もするんだよ。現状に甘んじている気持ちも、ないわけじゃない。
やっぱり人間としては、悩んでるほうが面白いんだよな~……。

――別に悩んでなくてもいいでしょ(笑)。けど、たしかに考えている人は面白いなと思うかな。

美樹:最近は、アニメを見ても「面白かった」だけで終わっちゃうことがあるの。悩みがあると、作品を通して考えたり気づいたりすることがたくさんあった。私はそれが楽しかったから、今の状況が寂しい。もうちょっと自分を取り巻く環境が鬱々としているほうが新海誠は沁みたな、みたいな(笑)。

――それが大人になったってことなんじゃないの? 大人になれば鬱々としなくなるはずだと、子どもの頃の私は思ってましたよ?(笑)



■「子どもがドヤ顔できるようなお母さんになりたい」

美樹:那瀬ちゃんはどうして「このままじゃダメだ」と思うの?

――今の自分では、子どもから「お母さん、やるじゃん!」とは言ってもらえない気がするから。私は子どもが胸張ってドヤ顔できるようなお母さんになりたい。

美樹:それは同意だけど、じゃあたとえばどんな仕事をしていたら子どもがドヤ顔してくれると思う?

――明け透けに言っていいなら、ヒット作に携わったりスーパースターにインタビューしたり、人目につくデカい仕事がしたいね(笑)。

美樹:それは超理想(笑)。
でも別にデカい仕事をしてもしていなくても、子どもは「自慢のお母さん」と思うときは思うよ。逆に、思わないときは思わないんだろうね……。自慢のお母さんだと思ってくれたらいいな……。

――そうだね。子どもはきっかけに過ぎなくて、これも結局は自分の欲求。
子どもができたら、もっと子どものことで悩むと思ってた。案外、子どもに関する悩みって少なくとも今はあんまりなくて、気づいたら自分のことばかり考えている。正直こんなはずじゃなかったよ(苦笑)。

美樹:こんなはずじゃなかったか……それを言うなら私も、もうちょっと落ち着くと思ってたんだけどね。日々、動じることばかりだよ。

――そう? 私は話していて、今のあなたはすごくいい感じだと思ったよ。とりあえず「このままじゃダメ」じゃないってすごいことじゃない? 現状に満足できない=感謝できない私より、ずっと素敵だと感じてるよ。

美樹:えっ!? 私は逆にイヤだなと思った!
いろんなことが安定してきて、そんなに今から変わる必要もないと思っていたことに話していて気づいた。でもそれって、私が産前に考えていた一番つまらない生き方なはずなんだよ。だからといってこれから向上心を上げていくかというと、そんなエネルギーは今はなくて。

――仕事への欲求が変わったように、生き方への欲求も変化したのかもしれないよ。でも現時点では、私からの称賛を素直に受け入れられないんだね(笑)。

美樹:そうだね(笑)。それはそれでいいことなんだろうと客観的には思うんだけど、どこかで鬱々とすることに憧れがあるんだろうなとも、今日私は気づいたよ。

――(性格は変わらないって言った手前だけど、ずっとあなたを知っている私からしたらすごい変化を遂げていると思うんだけどなぁ……)




話し相手
田中美樹 会社員・グラフィックデザイナー(※デザイナーは川野美樹名義)
Twitter: @tanakaxmiki

good! アフタヌーン連載中『空挺ドラゴンズ』をはじめ、書籍や雑誌の装丁デザインなどを手がけるかたわら、Podcast番組「そこ☆あに」にパーソナリティーとして出演。筆者とは番組にて10年近く共演している。整然とアニメを語るその裏には、びっしりと感想をノートに書き綴る努力と作品愛がある。
2018年3月出産。1年間の育休の後、2019年4月より子どもを保育園に預けて週5日の時短勤務にて会社に復帰。

(Illastrated by NARU)

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