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心理的安全性についての「心のノート」

心理的安全性とは、
組織の中で自分の考えや気持ちを
誰に対してでも安心して発言できる状態のこと。


今日は、ある思い出を書いてみます。



「机の上のものをすべてしまってください」

小学3年生、道徳の授業。

言われるがままに、みんなガラガラと、
筆箱だったり、心のノートだったりをしまう。

「今日は、言われて嫌だったことを全員に言ってもらいます」

そう、コンプレックスについての授業だった。

T先生は、

・「誰に言われた」は要らない。
「こう言われて嫌だった」だけ言うこと。

・正直に言うこと。

・全員言うこと。

・自分の番まで、静かに待つこと。

・言ったことを日直が板書すること。

と何点か説明をして、進行を日直に任せた。

そのあとは、教室の後ろに立ち、誰かの言葉が詰まってしまったときに、その子の名前を呼ぶだけだった。

T先生は、ベテラン・熱血系のイケオジといった感じ。
未だに小学三年生の時のことはよく覚えていて、尊敬する人として今でもこの人の名前を出す。いつか、他の話も。

ひとりずつ、言っていく。
自分の言われて嫌だったこと。
サラッと言える奴なんていない。
みんな詰まる。
それを待つ。待つ。
泣き出す。涙がこぼれる。
ボロボロ。
言いたい。言いたくない。
時折、T先生が名前を呼ぶ。それだけ。
待つ。
待つ。
いくらでも、待つ。
ちいさな声で吐き出す。
嗚咽とともに。
ボロボロ。
それを黒板に書かれる。
順番は進み、私の番になる。
言われて嫌なことが、たしかにあった。
でも、言えない。
言ってしまったら、どうなってしまうのか。
怖いんだ。
助けてくれ。
俺のことは、忘れてくれ。
いじめではなくて、いじり。
ただ、からかわれただけ。おちょくられただけ。
9歳の子供のやること。


自分も、誰かにやっていたこと。


コップに水が注がれるように、
自分に時間が注がれる。

みんなが待っている。
俺も、俺を待っている。

こらえる。
こらえたくない。
こぼれるのが、こわい。
こらえる。

あふれだす。
一滴。
一滴。

もう、止まらない。
隠したい、見たくない。
ことばが、白い文字で書き落とされる。
ああ、こぼれてしまった。
不思議な安心感。
自分の番が終わる。
次の人の番。

いつも笑っている、足が速くて、勉強もできる
クラスの人気者のあいつにも、
言われて嫌なことがたしかにあった。
泣いていた。
ひとりずつ、ひとりずつ。
授業終了のチャイムが鳴っても、続ける。
まだ何人か、残っている。

待つ。
待ち続ける。

最後の一人の番が終わる。
日直が、自分の席に戻る。
黒板には、およそ30人分の弱点が書かれていた。
みんな、目の周りが真っ赤になっていた。

T先生は、
「これをコンプレックスと言います。言った人を探すとかではなくて、ただ誰にだって言われて嫌なことがある」とそれだけ教えてくれた。

授業が終わると、各々が各々へと、少しずつ歩み寄って、謝りに行った。
「ごめんね」「すまなかった」「おたがいさま」

今思うと、すごい授業だった。
危険で、安全。
9歳。
簡単にこころが歪んでしまう年齢。

自分がされて嫌なことを他人にしないこと。

当たり前のこと。

小学3年生。
人との違いに気づき始める。
俺より、あいつは足が速い。
俺より、あいつはバカだ。
俺より、あいつは貧乏だ。
俺は、あいつは...比べて...

自己が形成されていく、とともに人間関係も形成されていく。
ヒエラルキー、スクール・カーストの種が蒔かれる。

何気ないからかい、おちょくりのことば。
他人の弱点に「こうかばつぐん」のことばをぶつけて、いい気になる。
「いじり」が「いじめ」に進化する。
いじめの種が蒔かれる。

振り返ると、
問題にはならない程度、いじめが発芽し始めていたタイミングだったかもしれない。
根深くなる前に、気づかせてくれた。

実感しないと、気づけなかった。

何か一つの結論にまとめるべき話ではない。

ただ、
ずっと、覚えている。

ずっと。

なさのや

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