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大人になって『フルーツバスケット』を再読してみた

「フルーツバスケット」は、小学生の頃に読んでボロ泣きした大好きな作品です。登場人物は揃いも揃って美男美女ばかりなのですが、それぞれが決められた生き方や価値観だったり、親や兄弟との関係だったりと、深い問題を抱えています。
そんなキャラクター達が主人公の「透」と出会い、変わっていく過程に、小学生ながらも胸がいっぱいになりました。

当時は、杞紗ちゃんのストーリーが一番ぐっときました。学校で苛められて喋れなくなってしまった子なのですが、透と出会ってから前を向いていく姿に感動したのを覚えています。
他にも燈路(ひろ)君に共感しましたね。生意気でめちゃくちゃ大人ぶった態度の子なんですけど、自分は何も出来ない子供だと自覚していて、このままじゃダメだともがいている男の子です。年齢が近いキャラクターの話は特に身に沁みました。

この作品を大人になってから再度読んでみたところ、新たな発見がありました。優秀で皆からも好かれて完璧に見える由希が、こんなに繊細で弱くて脆かったのか、とか。段々たくましくなっていく様子が、やっとわかるようになった気がします。
何より一番印象が変わったのは、透についてです。昔は「よく出来たすごい人だなあ、お母さんが愛情をたっぷり注いでくれて、あんな良い子に育ったんだなあ」と思っていました。
しかし再読して思ったのは、透って危うい子だったんだということです。読んでいてハラハラしました。途中で燈路君にも指摘されていますが、何かにつけてお母さん、お母さんと言うのです。透にとってお母さんの存在がどれほど大きかったのか。独りぼっちでお母さんを待つ小さい頃の透の姿は、痛々しく見えました。

考察ではなくあくまで感想として言いたいのですが、透にとっては世界で一番大好きなお母さんではなく、お母さん=世界だったんだろうと思います。もういないお母さんの呪縛に縛られているように見えました。
自分もそうだった気がします。今もそうなのかもしれません。お母さんが望むから、喜ぶから、と明確に意識はしませんが、知らず知らずのうちに母基準になってしまいます。

もう自分の人生を歩んでいいんです。お母さんが愛情をくれたのは確かですが、自分は自分です。いつまでもお母さん=世界なのは、苦しいです。
透みたいに、色々な人と出会って関わっていくことで、自分の世界も変わるかな。そんなことを思いながら読んだ『フルーツバスケット』でした。

少女漫画はちょっとと思う人にも、ぜひ読んでほしい作品です。

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