短編小説 しだれさくら

 桜の木の下には死体が埋まっている……そんな都市伝説がある。
 桜の花弁の綺麗な薄ピンク色は死体から血を吸い上げて咲くからだとか。

 そんな事ある筈ないのに……と、私は思う。

 それでも、そんな都市伝説が根付いてしまうくらい桜の木には不思議な魅力があるのだろうーーー。




「今年も咲くかなぁ、この桜。私の唯一の楽しみなんだけどなぁ」
 パジャマ姿の痩せ細った白髪混じりの女性が、病院の中庭にやって来た。
 この病院には樹齢1000年は過ぎてるであろう一本の大きな桜の木があるのだが、30年前に医院長がこの桜の木を気に入り、ここに病院を建てる事を決めたそうだ。
 それから毎日、誰かしらの入院患者が中庭にやってくるようになった。

 確か……この女性は入退院を繰り返していて、初めて見たのが4年前だったと記憶している。
 見たところ今年も回復の兆しは無いようだ。 
 それどころか、去年より弱っているように感じる。
 確か20代だったはずだが、投薬の影響なのか見た目は4~50代ほどに見えた。
 年々痛々しい姿になっていく女性を、私はただただ黙って見下ろしていた。

 女性は近くに備え付けられていたベンチに腰掛けると、まだ咲いていない桜の木を見上げる。
 すると、桜の幹に座っていた私と目が合った。
「ちょっと!!そんなところに座ってたら危ないじゃない!落ちたら大変だから降りなさい!」
「………、この幹はしっかりしてるから座り心地はいいし、私は慣れてるから落ちませんよ」
「それでも怪我をしない内に降りた方がいいし、先生達にも怒られるよ!!黙っててあげるからすぐに降りて!!」
 女性は心配そうに私を見上げている。降りるまで見上げていそうだったから、仕方なく降りることにした。
 私はスルスルと幹を伝って降りる。
「よかった!上手に降りれたね!えらいえらい!でも、本当に危ないし怒られるから次からは登っちゃダメよ」
 そう言うと女性は立ち上がり、私に近づくと頭を撫でた。
 私は予想外の出来事に驚いてビクッと身体を震わす。
「あっ!急に触ってごめんね?あまりにも器用に降りるし、キミ可愛いからつい……」
 私を可愛いと言ってくる事にも予想外で驚いた。完全に子供扱いだ。少し心外だがそんなことより、この桜が好きそうな女性に興味が沸いた。
「……、お姉さんは桜が好きなの?」
「うん!桜は大好き!だって、綺麗で儚くて……散り際まで美しいじゃない?……他の花は醜く枯れて落ちぶれて……死の間際は誰も見てくれない、気にしてくれないけど………桜は最期まで美しいから」
 女性は話しながら目が虚ろになっていく。後半の話しはきっと自分自身を重ねているのだろう。
 4年前と今とでは見た目がかなり老け込んでしまっているから。
 本人はその事をひどく気にしているようだ。
 そのせいで次第に誰からも見向きもされなくなってしまい、それがひどく悲しく惨めで虚しいのだろう。
「……桜は散り際まで美しくてみんなが見てくれるから好きってこと?」
 私がそう尋ねると「そうなの!」と食いぎみに力強く答える。
「………それなら、お姉さんも桜になりたい?」
 私は桜の幹に手を当てながらそう女性に問う。
「あははは!そうだねぇ、……なれたら面白いかもね!」
 子供の戯れに付き合っている……そんな軽い感じで女性は答える。
「ねぇ、桜の木の下には死体が埋まっているっていう都市伝説をどう思う?信じる?信じない?」
「それ、聞いたことある!死体から血を吸って桃色の花弁を咲かせている……だったっけ?……ホントだったらいいなぁって思う」
「どうして?」
「だって、その桜の木と一つに同化出来るじゃない!美しい姿に生まれ変われる!今の私みたいに誰にも見向きもされず孤独に怯えることもない……綺麗で美しいままでいられる!」
「お姉さん、今の自分が嫌いなんだね……醜くく衰えていく自分が」
 だから桜が羨ましい………と、ぼそっと呟くとまだ咲いていない桜の木を見上げる。
 それにつられたように女性も桜の木を見上げていた。
「……お姉さん、この桜の木……咲かせるの、手伝ってよ」
 えっ、と首を傾げる女性と目がかち合う。「この桜の木、他の木とちょっと咲き方が違うんだ。咲くのに必要なものがある。そして、お姉さんは丁度良いんだ」
「丁度良い……って?」
「………貴女の魂、ちょうだい?……いいでしょ?だって、お姉さん」


 “もう、死んでるんだし”


 パジャマ姿だったはずの女性は、いつの間にか病気をする以前に愛用していた洋服に変わっていた。
 見た目も病気をする以前の風貌に変わって美しい女性に若返っていた。
「私が見えて、話せて、触ることが出来るのは……死んでいる証だもん。それに、桜になりたいみたいだし……利害が一致してる。……まぁ、嫌っていっても関係ないんだけどね!」


 “貴女に拒否権は無い”


 驚愕に顔を染めた女性が歪んで掻き消えた。
 先程まで居た女性はもう何処にも居ない。
 葉桜だった筈の桜の木は今は満開だ。


「誰かの死によって咲く桜の木」


「死体なんて要らない、肉体は必要ない。必要なのは……その内にある魂」


「今年も満開の私の桜」


「さて、来年は誰の魂を貰おうかな……」


「ね!私の可愛い…… 死堕霊桜《しだれさくら》」


 キャハハハと子供の無邪気な笑い声が中庭に響き渡る。

 だが、子供の姿は見えない。その内、その笑い声も風の音と共に消えていった。

 残ったのは美しく花開く満開の“しだれさくら”だけだった。

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