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「なぜそのような話し方をするのか?」と聞かれた話

友人と、その知人の方とお話しする場をいただいた。3人で話し始めて30分くらい経ったときのこと。

「あなたの話し方は不思議です。ゆっくりなんだけれど『早く次を話して!』と思わせない。何か惹きつける力をもっているようにも思います」

不意打ちに驚いて、まごつく。私がはっきりしない間に友人も「確かに!なんで?何かコツはあるの?」と畳みかける。

自覚もなければ指摘されたこともなかったけれど、私の口からはするすると答えが出てきた。これまた驚きである。ただ、出てきた内容は後から考えても「あぁそうだな」と納得できたし感慨深いものでもあった。

ことば選びの慎重さ

そのときの私の話し方がどのようであったか。次のような特徴があげられる。

  • 全体的にゆったりとしたテンポで、間合いがある

  • より適切な語彙や表現を探すように話す

  • 抑揚をつける

  • ジェスチャーを使う

ひとつめとふたつめについては指摘があった内容で、かつ自分が心がけていたことだ。

「日本語ネイティブでない空間で日本語を使って話していた」というのは大前提にある。ネイティブな私、日本語と韓国語を行き来する友人、韓国語ネイティブで学術的な日本語も理解する知人の方、というメンバー構成。

日本語を操る力としては全員遜色なかったので、難しい表現を避ける頭はなかった。けれど、母語でないことばを使うときならではの語彙や表現に対する敏感さ、というのはあると感じていて、ことばを選び抜くようにして話していた。

思考するときに使う言語が違うからこそ、自分の頭の中をできる限りそっくりそのまま渡そうとしていたのかもしれない。翻訳されても意味が変わらない日本語にしようとしているような。この感覚は、海外の方との交流を経て、見よう見まねで身に付いた。

大学で新入生と話していたときの感覚とも近しい。大学という新しい世界に入ってきた人に、元からいた人間として話す場面で、前提知識のすり合わせは少なからず必要だ。このすり合わせの過程が異文化コミュニケーションと似ている。違うのは当たり前だから伝える。そこには上も下もない。

と、その場ではここまでで終わったのだが、改めて考えたときに、編集者や書き手の思考回路も話し方に大きな影響を及ぼしているなと気づいた。

読み手が理解するスピードと文章が流れるスピードを合わせる

編集者の上司からいただいたアドバイスのひとつが、これ。「スピードが合わないとそれは摩擦になって、読者の読む気を削っていく」と上司は続けた。

ことば数が多すぎると「もう分かったから早くしてくれ」と思うし、ロジックが飛ぶと読者は置き去りにされる。口頭でも同じで、ことばは多すぎても少なすぎても聞き手にとってストレスになる。

間合いは聞き手が考える余白、抑揚とジェスチャーはハイライトと置き換え可能だ。語彙や表現を選ぶのは推敲みたいなもの。思わぬところに編集が顔をのぞかせた。書く・読む・話す・聞くの互いへの影響力の大きさを感じざるをえないできごとだった。


20230202 Written by NARUKURU

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