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江戸の名付け親の仕組みをいつかやりたいと思ってやってみた。

というより・・・この人たちにお願いしたい!という状況になったという方が正しいかもしれない。

血縁ではない人がいかに子育てに関わるか。

いわゆる他人とどう関係を作っていくか。「子は宝」という言葉通り、子どもを通じて大人が繋がり生きていく。そういう過程や現状を自分の人生で見てみたいというのがずっとどこかにあった。というよりも本当に奇跡的なご縁で、子どもを授かったこと、「名付け親をお願いしたい」という気持ちになったことが大きい。僕の衝動のような不思議な感覚のまま旅先で出会った男性2人に次男の名付けをお願いした。後で分かったことだけど、自分の子どもの名前をつけるよりエネルギーを使ったそう。でも快諾してくださった2人には本当に感謝している。

夫婦と大人2人でZOOMで会議を

2人で候補をたくさん考えてくださって、長男の名も考慮してくださって名前をつけてくれた。妻はとても喜んでくれた。僕の判断も、僕の交友関係も信頼してくれていた。最初はびっくりしていたけど。距離的には全員バラバラでZOOMすごいなと思った。LINEとかもだけど。

「親」を薄める。そして増やす。第2,第3の親がいるということ。

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何かあると「名付け親の2人はどう思うかな。」そんなことを考える時間ができた。あと僕の中で大きいのは「”自分の”子ども」という感覚が薄れたこと。みんなの子どもであり、「ひとりの人間」という言葉面ではない輪郭が僕のなかで感じた。親と子という関係性から離れて、ひとりの人間として僕は子どもと対峙したい。父という役割は僕の中で一部でしかないし全てではない。「所有する・自分の不安や感覚で子どもを覆う」ことはできる限り避けたいと思っている。僕はこの名付け親という2人にまた感謝している。僕がもし急に死んでも、血縁はもちろん、彼ら2人もきっと一生懸命考えてくれる。そういう気持ちになれたことで僕は肩の荷が降りた。死ぬつもりはないけれど。

家庭と子育てのあり方。子どもがうまれて、そして暮らすこと。

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授かった命をどう扱っていくのか。植物を育てていると子育てとリンクすることがよくある。目が出るまでにはうんと時間がかかること。根っこがびっしり生えてこないと芽がでないこと。プランターで育てていると病気になったり、病気になっても弱かったり、成長が遅かったりする。何が言いたいかっていうと生き物はそのものだけでは成長や自立できないと。混じり合わないと、その人がその人らしく生きていけないのではないだろうか。ということをつくづく思う。で、それをどうしていくと良いのか。毎日実験・実践の連続だなと。

時代によって「子育て」が変わっていく。

僕は2児の父ですが、子ども向けのワークショップをやったり乳幼児期の子どもの分野で活動はしているし、学童保育所や中学校で塾の講師をしたり子どものことは他の男性より理解しているつもり。だけども生活、暮らしとなると話は変わる。夫婦だけでは実感として子どもそのものを丁寧に扱っているのか不安になる時がある。・・・というかまだ手が足りないなぁと感じる。実家からも離れているので職場や友人関係あとは地域の人たちへ甘えて頼って暮らしている。実生活であと大人が2,3人欲しいよねって思うことが多々ある。働いて、子育てして、自分も満たしていく。ことがいかに難しいか。

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今の子育ての当たり前や、家庭像は結局のところ政府や時代の要請で作られていると思っていて、どう考えても不自然だなぁと思うことがおおい。※歴史を辿っていくと時代や政府(国)の要請や戦略によって家庭の役割が変わっている。声を大にして言いたいのは、戦争の功罪は大きい。絶対にしてはいけない。

結局のところ、「どう生きるか」に尽きるのだが、暮らしのあり方も、今と子ども(未来)を照らしていきながら、自分たちが尽きても地球、国(社会))地域がよりよく続いていけるように考えていかなければいけない。

子どもは社会の宝

江戸時代は乳児の死亡率が高かった。平均死亡率も28歳前後で死亡者の多くは5歳未満の乳幼児だったそう。そのため、「親制度」をもうけて地域に擬似的な親子関係を置くことで大切に育ててきたそう。みんなで関わるし育てる。

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・臍の緒を切る「取り上げ親」
・生後2日間授乳を任せる「乳付け親」
・名前を授ける「名づけ親」・・・など


今は形だけになっているところもありますが、祭りや通過儀礼を通じて地域で子どもの安全や成長をお祝いしたりする。

今は世界的に見ても日本は乳幼児の死亡率が低い▼
このことはもちろん良いことだと思うけれども、この生まれてくること、育つことが「当たり前」になった今、通過儀礼をしたり、暮らしと地域が分断・弱まるひとつの要因になってしまったのかもしれない。

子どもにとって最善は何か?

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永遠のテーマだと思う。だからと言って僕はこれを放棄しない大人でいようと思う。子どもにとって何が最善で、尊重できることになるのか。でも、僕だけ、妻だけでは心細いし、判断しかねることがある。名付け親の2人をはじめたくさんの「親(大人)」に頼って、考え抜いて僕は生きていきたいと思う。


参考資料1:日本の父親の歴史的変遷(その2)
参考資料2:江戸時代における子どもの発達観と育児方法について



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