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自分が好きなモノについて語ってキズを癒す

 私にようやく自己受容の芽生えが生じました。

 自己受容のために大事なことはいくつかあれど、やはり私は私自身をもっと知ろうと思いました。私は何を考え、何を思っているのか。今までのnoteでもそれらを書いていたのですが、それをもっと自覚的にやっていこうと思います。そして一つ、これからはもっとこれを書きたい、というものがあります。
 それは、「私が好きな物、ことについて書く」ということです。

 昨日の記事で、私は自分が父の価値観を内面化してしまっていたことに気づいた、と書きました。父の価値観は私の価値観とは全く正反対で、私が興味があること、好ましく思うことには大体否定的な評価を下します。その父の価値観を内面化してしまっていた私は、私が興味を持つものに対しても否定的に反応していました。それは私に「好きだけど、好きであると認めてしまうことに罪悪感を感じてしまう」という葛藤を生んでいました。例えるなら、車のアクセルとブレーキを同時に踏んでいるような状況です。エンジン(心)にめちゃくちゃ負荷がかかっているのにあまり前に進めない(積極的に関われない)という状況でした。

 しかし、昨日の記事で私がブレーキを踏んでいる(私の好きなことに否定的な評価を下す)ことに気づいたので、あとはこのブレーキを踏んでいる足を外すだけだと気づけました。長年無意識にやっていたことなので、簡単には外せないでしょう。意識的に外す努力が必要です。
 その方法の一つとして「私が好きだと思うものについて存分に語る」という方法を思いつきました。

 今までも何度か自分が好きだと思うものをnoteに書いてきましたが、それをもっと意識的にたくさんやっていこうと思います。
 今でも私が好きなことを語ろうと思うと、どこか罪悪感を感じます。「こんな下らないものを好きだと公言するなんて……」という気持ちが湧いてきます。この「こんな下らないもの」と評価する心が私が内面化してしまっている価値観です。そして、私を傷つけてきた当のものです。私が好きなものを敢えて語ることで、この内面化してしまっている価値観を顕在化させ、よくよくその価値観に向き合って見つめてやろうと思ったのです。

 記事の内容としては、今までと同じように自分が好きだと思うものを語るだけになると思います。しかし、私にとって大事なのはそのモノの何がどのように好きなのかと言うことを言語化する過程です。その過程において、私が向き合うべき価値観が現れてくるでしょうから。
 そして、その過程が、今まで傷つけてきた自分自身を癒す過程になるような予感がしています。


 今後書きたい「好きなもの」としては、例えばゲームや漫画などの好きなコンテンツについても書きたいと思いますが、日頃ふと気になったことや心惹かれたこと、楽しいなと感じた日常の風景なども書いていきたいと思います。好きなコンテンツだけでなく、そうした日常の何気ない時にふと心惹かれるものにも私の大事にしている、あるいは大事にしたいと思っているものが表れるように思うからです。それらに丁寧に気づいて拾っていきたいです。

 「キミは何が好きなの?」と自らの心に問うて「ああ、キミはそれが好きなんだね」と受け止める作業を、言語化を通じてこれからたくさん行っていきたいです。


 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!