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心の傷と精神医療と昇華行為と

 やそらさんと先日話をしたとき、興味深い話を聞きました。
 好きなアニメやゲームの話をしている時に、「あの花の名前を僕たちはまだ知らない」というアニメの話になりました。私とやそらさんは共にこのアニメが好きだと言うことが分かり、そのアニメについて話をしていたのですが、やそらさんがこんな話をしてくれました。曰く、そのアニメについてある外国の方が「このキャラクターたちは初めにカウンセリングを受けるべきだった」とコメントしていたというのです。

 「あの花の名前を僕たちはまだ知らない」というアニメについて、ネタバレにならない程度に説明すると、ある仲良し6人組の子どもたちがいて、その内の一人が事故死してしまい、その後残った5人はそれぞれが心に傷を負ってバラバラになったのですが、5人が高校1年生になったころ、死んだはずの一人が幽霊となって主人公の元に訪れ……。というストーリーです。
 外国の方のコメントは、友達の事故死によって5人が心の傷を負ってしまったことに対して、それを放置せずに事故死があった後すぐにカウンセリングを受けさせるべきだった、という趣旨のものかと私は推測しました。
 率直に言うと、そのコメントに対して、私もやそらさんも興ざめしてしまいました。

 アニメは初めは心の傷を負っていた5人+1人(幽霊)が再会し、5人+1人でそれぞれの心の傷に向き合い、友情を復活させて過去を乗り越えるという感動的な物語でした。
 もし5人が事故死の後にカウンセリングなどを受けて、中途半端に心の傷を癒していたらこの物語は始まっていなかったので、そもそもそこに異論を挟むのなら、このアニメの全てを否定することになります。
 それに事故死した友人が幽霊として現れる、というのは当然ながらファンタジーです。このアニメはフィクションなので、「カウンセリングを受けるべき」というような現実的なコメントがそもそもナンセンスだ、という想いもあります。

 しかし、そう思う一方で、外国の方のコメントにも一理あるな、とも思いました。

 現実で似たような状況で心に傷を負った人がもしいたら、その人がアニメのように心の傷を克服できるとは限りません。アニメのファンタジー要素(死んだ友人が幽霊となって現れる)を除いたとしても、かつての友人たちが再会してそれぞれのトラウマを克服していく、という流れは現実的には非常に難しいでしょう。それどころかトラウマを持つ者同士がお互いを傷つけ合い、余計に悪化する事態も考えられます。
 子どもの頃に負った心の傷によって大人になってからも苦しめられる人はたくさんいます。そういう現実を見れば、「すぐにカウンセリングを受けるべきだった」というコメントは真っ当なものでしょう。

 おそらくそのコメントは、その外国の方の正直な感想だったのでしょう。現実でもしこういう状況に陥った子どもたちがいたら、すぐに大人が気づいて精神医療に接続すべきだ、という慈しみの心からのコメントだったのかもしれません。

 とは言っても、やはり私にはそのコメントに多少の違和感を感じてしまいました。それは恐らく、そのコメントに「心の傷を負ったものは速やかに精神医療や心理療法に接続されるべきだ」という無意識の前提が透けて見えたからです。
 そしてその前提に対して、私はもろ手を挙げて賛成することができないからです。

 

 当人に大きな心の傷を与える重大な事件が起き、それによってその人の人生が決定的に変わってしまう、ということは様々な時代、地域を問わずあります。
 しかしその心の傷をどのように克服すべきか、ということは人それぞれだと思います。必ずしも、精神医療によって治療されるべきとは思いません。

 以前紹介した荒川修作の逸話のように、深刻な悲劇を体験したからこそ、その後に独創的な創作活動を行った方もいます。
 また、多くの宗教者のその信仰の始まりに、今で言うところの大きな心の傷を負うような体験、喪失体験があったという例は枚挙に暇がありません。
 そうした方々は、精神医療が今ほど発達しておらず、整備もされていなかったために精神医療を受けなかったという理由はありますが、精神医療に頼らず自分なりの形でトラウマ的体験を克服あるいは昇華していきました。
 前にも同じような例えをしましたが、太宰治が精神医療によって苦しみが(中途半端に)癒されていたら、「人間失格」は著されなかったでしょう。創作の世界において、精神的苦悩、トラウマ的体験というのは創作の原動力になることがままあります。


 とはいえ、全ての人が精神医療に関わらずに立ち直れるわけではないのも事実です。私自身、最悪の時期は投薬とカウンセリングを受けてなんとか最悪の時期を脱しました。あの時精神医療に助けてもらえなければ最悪の結果になっていたかもしれないと思うので、精神医療のありがたみは分かっているつもりです。

 しかし、やはりなんでもかんでも辛くなったら精神医療へ、というのはちょっと人間理解が薄っぺらじゃないかなぁと思う心もあります。でも全ての人に自分で克服・創作活動に昇華することを求めるのも無理があるし……。
 せめて精神医療の代わりになる、例えば昔はその役割も担っていた伝統宗教などがあれば私も自信をもって勧められるのですが、宗教というもの自体が影響力を失いつつある現代だとそれも難しいし……。

 と、何とも歯切れの悪い文章になりました。私の心情としても、精神医療に接続すべきというような意見に賛成反対が4:6くらいなので、はっきりズバッと結論を述べられません。
 言語化という意味では、このはっきりしていない心情は十分に言語化できた気がしますので、今回はこれで終わります。


 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!