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東京国立博物館(東京都台東区・上野駅/内藤礼「生まれておいで 生きておいで」展)

世界規模で活躍するアーティスト内藤礼による企画展「生まれておいで 生きておいで」が東京国立博物館で開催。行こう行こうと思いつつタイミングを逃しまくり、会期ギリギリの滑り込みで見学にこぎつける。展覧会の性格上、少人数でゆっくりと空間を把握するというスタイルのため、時間指定の予約制になっている。メディアで紹介されたこともあってか注目度も高く、どの回も売り切れ続出、当日券はほぼ出ない状況。

展示会場は平成館と本館とにまたがって振り分けられており、平成館1階の企画展示室が第1会場、本館の大階段の真裏にある特別5室が第2会場、そして常設展示室を通り抜けて庭園に面している本館1階ラウンジが第3会場となっている。1→2→3→2→1という順序で見学するのがアーティスト側からのおすすめになっているが見学形態は自由。1と2は最初の入室時にスタンプを押してもらう手続きがある。ちなみに東京国立博物館そのものへの入場は正門で企画展のチケットを提示すればいつでも入場できるので、予約時間の前に入場して常設展をついでに観ることも可能。

足跡を遺す土に何を見出すか

生とは祝福ととらえるべきか、地上に存在することを祝福ととらえるべきか、というメッセージが込められているテーマで、今回の展示では全国のいろいろな遺跡から出土した土製品に、自らの創造と重なる人間のこころを見出している。生まれてこの世界に存在した以上、それをどうとらえるべきなのか、を鑑賞者に投げかける。そしておそらくその答えは鑑賞者自身が出すべきもの。肯定にせよ、否定にせよ、答えを出すのは鑑賞者である、という一種の俯瞰(それは諦めを内包したかなしみでもある)と、それでも一握のひかりを明示しているようにも思える。

久々にやってきた東博 展示室内は撮影できないけれど それでいい

個人的に昨年から今年にかけて、親しい人、生きがいにしてきた人が相次いで亡くなるという経験を経て、これまでよりも一層、生きていること、存在していることの意味について考える機会が増えた。言葉にしてしまえばそれは感傷でしかないし、むしろ言葉にするべきではない感情かもしれない。友人など人の死に多く触れてきた十代から、少しずつ薄れてきた遺された人にとっての痛みと悼みの感情。戸惑っている暇もなく、立ち止まっている猶予もなく、時間が進む限りどうしたってパレードは進んで行くし、そこからドロップアウトすることはできない(したくない。今は。)のだから、ここに存在していることの幸せを、喜びをせめて感じていたい、と思う。

空間を上手に駆使したインスタレーションが印象的な今回の展覧会、特に注目されるのが第2会場である本館の特別5室。普段こちらは特別展示などで使用されるイベントスペースの趣が強く、窓などは閉じられて空間は「箱」として使用されている傾向が強いのだけれど、今回の展示では吹き抜けになっている展示室が長い歴史の中で初めて全貌を明かされ、吹き抜けになっている展示室に開放された窓から日光が入りこむ。最も広い空間である展示室が時間によって変化を遂げる様子に触れることができる。

作品にはキャプションがないため、配布された作品リストを照合しながらタイトルを答え合わせして行くのだけれど、特に作品名にこだわらずに空間を楽しむのも一つだし、より理解したければ照合すれば面白くなるかもしれない(そもそも多くの作品は「無題」など記号的なタイトルでしかない)。1と2に関しては特に入場制限がかけられているのもあって展示室の空間そのものを味わう、というのも一つの楽しみ方と言える。なお、銀座メゾンエルメスフォーラムでも連動する企画展を実施しており、シャトルバスも出ている。トイレはウォシュレット式。

どこへ向かい どこへ消えて行くのか わたしたちは

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